「人の魅力に惹かれて」——能登半島地震の被災地で挑む笑いと再生の物語
2024年元旦、石川県能登地方を襲ったマグニチュード7.6の大地震は、多くの尊い命と日常を一瞬で奪い去った。美しい海と山に抱かれた能登半島は、観光や伝統文化が息づく地域だったが、あの日を境に「楽しい日常」は一変した。避難所生活、水不足、寒さ、インフラの寸断、多くの困難を抱えながらも、被災者たちは静かに、しかし力強く復興への歩みを始めている。
そんな中、1人の若い芸人が、被災地に笑いと希望を届ける活動を通じて注目を集めている。彼の名は、さや香の新山(にいやま)である。
お笑いコンビ「さや香」は、吉本興業に所属するコンビで、メンバーはボケ担当の新山とツッコミ担当の石井。2014年結成、2017年のM-1グランプリで一躍話題となり、以降もテレビ、舞台、ラジオなど多方面で活躍している若手実力派コンビだ。特に新山は、独自のボケスタイルと、地頭の良さを感じさせるコメント力で注目され、その人懐っこいキャラクターはファンを惹きつけてやまない。
その新山が、なぜ自ら能登の地を訪れることになったのか。ことの発端は、SNSに寄せられた一本の声だった。
「能登に笑いを届けてほしい。今、笑うことすら恐れてしまう毎日を送っている人がたくさんいます」——
この言葉に心を動かされた新山は、ボランティア団体や地元自治体とも連携し、自費で被災地に出向いた。漫才や即興トーク、子ども向けのゲームコーナーなどを通じて避難所を訪問。最初は「芸人が来ても、笑える気持ちになれない」と言っていた被災者たちの表情が、少しずつ、しかし確実にほころんでいく様子を目の当たりにしたという。
「笑いって、人の命を守ることはできないかもしれないけど、心を守ることはできるんじゃないかなって思いました」
そう語る新山の表情は、芸人としての自負と、1人の人間としての優しさがにじんでいた。
被災地に「芸能人が行くこと」には、賛否がつきまとうこともある。場違いだ、パフォーマンスに過ぎない、という心ない声も決して少なくない。しかし、新山はそうした声にも耳を傾けつつ、尊重し、バランスを取りながら行動を積み重ねている。
たとえば、彼は現地入りに際して十分な事前調査を行い、公的な支援機関や地元のNGOと連携し、「自己完結型」の支援を徹底した。炊き出しや物資提供の妨げにならないよう配慮し、滞在も最小限に。それでも、「来てくれてありがとう」という地元の人々の手の温かさに、彼自身が逆にたくさん救われたと語る。
「僕なんかが何をできるんやろ、ってずっと思ってました。でも、誰かに『来てくれて、今日だけでも楽しくなった』って言われたとき、ああ、僕なりにできることでよかったんやって、少し心が軽くなったんです」
また、新山はその活動の背景に、自らの家庭環境も密かに影響していると語っている。大阪出身の新山は、幼いころから明るく、周囲を笑わせることが好きだったが、家庭は決して裕福ではなかった。テレビの中で活躍する芸人たちに憧れ、養成所に入るための費用も自分でアルバイトして貯めた。
「芸人で売れなかったら、ずっとバイトして生きていくと思ってました。それでも、お笑いやってるときは、どんなにしんどくても楽しかったんです」
そんな背景があるからこそ、「自分にしかできない笑いの届け方がある」と強く信じている。避難所で小さな男の子に「テレビで見たことある!」と笑顔で声をかけられ、「僕、芸人になりたい!」と言われた時には、自分の志がまた一つ報われた気がしたという。
「被災地には“明日”が必要なんです。明日を信じられる気持ちというか、生きていこうと思える何か。笑いって、その“何か”になれるかもしれない。これが全部終わって日常が戻ったとき、『ああ、あのとき来てくれた兄ちゃんいたな』って、そう思い出してくれたら、それだけで十分幸せです」
新山の行動は、多くの人の心を照らした。そしてそれは同時に、私たちが「支援とは何か」「共に生きるとは何か」と問い直すきっかけにもなっている。物質的な支援は当然必要だが、心の隙間を埋めるような「人の優しさ」もまた、同じくらい大切なのだ。
能登の海に沈む夕陽のように、静かに、しかし輝きを失わずに広がっていく人の想いの連鎖。その一翼を担ったのが、芸人・新山だった。今後も彼の活動は続く予定だという。次はどこに、どんな「笑い」を届けてくれるのだろうか。
被災地に必要なのは「非日常の中の、日常」だ。ラーメン一杯でも、風呂の湯気でも、そして芸人のひと言のギャグでも、“普通”を取り戻す鍵になり得る。さや香・新山が見せたその笑顔と行動力は、被災地のみならず、常に不安を抱えながら生きる今の私たちすべてに、確かに響くものがあった。
「笑いを届けること」——それは芸人にとって当たり前の日常かもしれないが、今この国で、それこそが一番必要とされている「未来」への光なのかもしれない。