2024年6月、日本の政界を大きく揺るがす衝撃的な事件が報じられた。自民党の派閥による政治資金パーティー収入の裏金化問題を巡る一連の疑惑の中で、元総理大臣である安倍晋三氏が率いた「安倍派」(清和政策研究会)の会計責任者が東京地検特捜部によって略式起訴され、大きな波紋を呼んでいる。そして、その捜査の渦中にあった岸田文雄首相の対応にも、国民と政界関係者の注目が集まっている。
この事件の中心にあったのは、自民党の最大派閥である安倍派による政治資金の可能な限り透明性のある運営が欠けていたという疑惑だ。今回の略式起訴では、派閥の政治資金収支報告書に対し、約6,000万円におよぶ収入が未記載であったことが認定された。政治資金規正法違反(不記載)という容疑で、会計責任者が略式起訴され、罰金100万円、追徴金6000万円という判断が下された。
だが、この事件の背景を読み解くうえで外せないのは、安倍晋三氏という一人の政治家の存在である。
安倍晋三氏は、1954年に政治家一家である安倍家に生まれた。祖父は戦後間もない時期に首相を務めた岸信介氏、父は外務大臣などを務めた安倍晋太郎氏という政治サラブレッドの家系で育ち、成蹊大学から米国へ留学した後、神戸製鋼所に勤務。その後、父の秘書官として政治の世界に入り、1993年には衆議院議員として初当選を果たしている。
2006年に52歳という若さで内閣総理大臣に就任。その後一度健康上の理由で退陣したものの、2012年に再び首相の座に返り咲くと、2020年まで日本のトップとして在任し続け、戦後最長の首相在任期間を記録した。いわゆる「アベノミクス」と呼ばれる経済政策、外交での“地球儀を俯瞰する外交”など数々の施策を通して、日本の政治・経済に強い影響を持った人物である。
その安倍氏が率いていた清和政策研究会はいわば“ポスト安倍”を担う政界の人材を輩出する基盤とも言える存在だった。派閥は多くの若手議員や中堅議員を組織し、政界での力の源泉をなしていた。しかし、今回の事件においては、その力が裏目に出てしまった可能性がある。
特捜部の調査によると、安倍派では政治資金パーティーの収入の一部が、収支報告書に記載されないまま派閥に戻されるという「キックバック方式」が恒常的に行われていたとされている。これが“裏金”と表現される所以である。政界では通称「裏金事件」とも呼ばれ、連日マスメディアを賑わせている。
このような状況に対し、岸田文雄首相は厳しい局面に立たされている。広島出身で、同じ清和政策研究会とはやや距離を置く宏池会(岸田派)を率いる岸田氏は、自身も政治資金処理についての説明責任を問われる立場にありながらも、党全体の信頼回復に向けた挽回策を急務として抱えている。
岸田首相は今回の事件に対し、「政治とカネの問題に国民の信頼を損なう行為があったことは重く受け止めている」とし、党として再発防止策を取りまとめる方針を表明した。また、自民党内で新たに「政治とカネに関する特別調査委員会」を設置する方向で調整が進んでおり、透明性の確保と改革の断行が求められている。
しかし現実には、与党最大派閥の中枢が関与していた不記載問題について、関係者が政界に留まっていることに対し、国民の間では厳しい目が向けられている。SNS上では「誰も責任を取らないのか」「説明責任を果たすべきだ」という声が多数上がっており、自民党の信頼回復には時間がかかる見通しだ。
また、今回の略式起訴についても、世論の反応は複雑だ。一部では「罰金100万円と追徴金だけで済むのか」といった声も上がっている。なぜなら、裏金となった6000万円もの額が仮に政治活動や選挙活動に使われていたとすれば、政治的な公平性が損なわれていた可能性があるからだ。政治資金の運用は、それ自体が民主主義の根幹に関わる問題であり、それが一部の派閥内で私的に操作されていたとするなら、国民の信頼を根本的に揺るがしかねない。
今後、国会内外で野党勢力がさらに攻勢を強め、証人喚問の要求や政治資金規正法の改正を訴える動きも出てくることが予想される。特に、野党からは「一部の会計責任者だけを処罰するのではなく、実際にカネの流れを知り得る政治家本人への責任追及が必要だ」という声も強い。
2022年7月に安倍晋三元首相が銃撃され帰らぬ人となって以降、清和政策研究会内では統一的なリーダーシップが見え辛くなっていた。いわば“ポスト安倍”の空白が長く続く中で派閥への求心力が低下し、今回のような金銭の処理問題が表面化したのは、その混乱の一端とも言えるかもしれない。
旧来の派閥政治の形が時代背景に合わなくなりつつあり、今後は派閥による資金集めのあり方そのものが見直される必要があるだろう。岸田首相にとっても、ここでいかに政治改革に踏み出すかが自らの政権の命運を分けると言っても過言ではない。
一連の政治資金問題が明るみに出たことをきっかけに、日本の政治が透明性と信頼性を取り戻すための新たな一歩を踏み出すのか、それとも旧態依然のまま制度疲労の道をたどるのか。その岐路に、我々国民一人ひとりが関心を持つことが求められている。民主主義の根幹は、政治家だけでなく主権者である国民の監視と関心によって支えられているのだから。