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あの伝説の指導者、闘将・星野仙一さんの遺志を継ぎ、阪神タイガースに新しい風を吹き込んだのは、岡田彰布監督だ。2023年、18年ぶりにセ・リーグ優勝を果たした阪神タイガースは、まるで「アレ(優勝)」への執念が全員の胸に宿ったかのような力強さを見せた。そして今、岡田監督が語るのは、星野仙一さんとの知られざる絆と、勝利のために貫いた覚悟の数々だ。
岡田彰布(おかだ・あきのぶ)監督は、1957年大阪府大阪市出身。早稲田大学からドラフト1位で阪神タイガースに入団し、主に二塁手として活躍した。ルーキーイヤーからレギュラーの座を掴み、1985年の阪神日本一にも中心選手として貢献。引退後は指導者の道へ進み、2004〜2008年には阪神の監督を務め、2005年には18年ぶりのリーグ優勝にチームを導いた。
その岡田監督にとって、恩人と呼べる存在が星野仙一さんだった。星野さんは2002年から阪神監督を務め、低迷していたチームをわずか2年でリーグ優勝へと導いた名将。現役時代は中日ドラゴンズのエースピッチャーとして君臨し、引退後も名将として数々の球団を立て直してきた。「闘将」と称されたその熱い指導ぶりは、多くの選手や指導者たちに影響を与えた。
「星野さんには、ほんまにようしてもろた。今の自分の野球観、チームづくりの哲学の根幹には、星野さんから教わったことが染みついてるんや」。岡田監督は、しみじみと語る。
特に印象に残っているのは、阪神が2002年、最下位に沈んでいた頃、星野監督が発した言葉だった。「負け癖ついたチームを変えるには、まずオレが誰よりも熱くならなあかん」。その姿勢を間近で見ていた岡田監督は、「勝ちたい」という一心で選手に接すること、そして何より、結果にこだわる大切さを叩き込まれた。
2023年シーズン、岡田監督はその教えを自ら体現した。18年ぶりの「アレ(リーグ優勝)」を目指すにあたり、チーム内に一切の甘さを許さなかった。「勝負事にきれいごとはいらん」。その信念で、起用・采配を一つ一つ積み重ね、選手たちの意識を変えていった。
岡田監督の采配は徹底して「結果第一主義」だった。打てない選手には容赦なく競争を促し、若手であっても結果が出なければ入れ替えた。だが、それはその場限りの結果を求めるのではない。あくまで「勝つため」「選手自身がもっと上を目指すため」の厳しさだった。
特に注目されたのが、守備力重視の選手起用だ。打撃成績が良くても守備に不安があれば、強い決断で控えに回した。「守備ができへん選手がおったら、ピッチャーがかわいそうや」という方針のもと、鉄壁の守備陣を形成。結果として阪神タイガースは、リーグトップクラスの失策数の少なさを誇り、投手陣との相乗効果で勝利を重ねた。
また、岡田監督は選手たちと過度にベタベタとすることを避けた。「選手と仲良くせんでも、監督は嫌われてもかまへん。ただし、選手はオレが本気で勝たせようとしてるってわかっとる」。この距離感こそ、星野監督から学んだリーダーシップの神髄でもあった。
選手たちはその姿勢に応えた。キャプテンの近本光司外野手を中心に、若い力とベテランの力がうまく融合し、誰一人として「現状に満足する選手」は存在しなかった。試合後のミーティングでも、選手たちから積極的に意見が飛び交い、チーム全体の士気は常に高かった。
岡田監督は言う。「今の阪神に、優勝して満足してまうヤツはおらん。むしろ、もっと上を目指す、もっと強くなる、いう気持ちが高まってる」。その言葉通り、選手たちの表情はシーズン終盤でもどこか飢えているようだった。
忘れてはならないのは、岡田監督自身もまた、星野仙一さんが遺してくれた薫陶を今、次の世代へと伝えているということだ。勝負にこだわること、言い訳をしないこと、そして、選手たちを徹底的に信じること。それは、ただ「厳しく」するだけでは築けない、監督と選手の間の無言の信頼関係に他ならない。
「星野さんが生きてたら、『ようやったな』って言うてくれたかもしれへんな」。岡田監督は、少し照れたように笑った。
そして、阪神タイガースは今、「本当の黄金時代」を築こうとしている。岡田彰布監督というリーダーの下で、一つ一つ確実に勝利を重ね、個々の才能を最大限に引き出しながら、強く、しなやかに成長している。
2023年のリーグ優勝は、単なるゴールではない。これは新たな物語の始まりに過ぎない。あの闘将・星野仙一さんが蒔いた種は、いま確かに、大きな実を結びつつあるのだ。
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(以上)