日本が二度と戦争の悲劇を繰り返さないために、被爆者たちが残してきた「被爆手記」は貴重な記録であり、語り継がれるべき歴史の証言です。近年、この被爆手記の寄贈が各地の資料館などで急増していることが報じられました。その背景には、高齢化の進展と共に、被爆体験者やそのご家族が自らの記憶や家族の記録を後世に残したいという切実な思いがあります。
本記事では、「被爆手記の寄贈が急増している理由」、そして「手記が持つ意味」について掘り下げながら、私たちが未来に向けてどのようにこれらの証言と向き合うべきかを考えていきます。
被爆手記とは何か
被爆手記とは、広島や長崎に原子爆弾が投下された際に被爆した人々が、自らの体験を綴った文章や記録のことを指します。形は多様で、日記形式のものや、戦後になってから体験を回想して書いた手紙やエッセイ、報告書のようなものまであります。そこには、生き延びたことへの葛藤、家族や友人との別れ、放射能による身体的・精神的な後遺症、戦後の生活の苦労などが赤裸々に書かれており、読む人の心を深く揺さぶります。
これらの記録は、被爆者個人の視点から描かれていることが多く、単なる歴史の事実とは異なる「個人の体験」というリアリティを持っています。だからこそ、より深く戦争の悲惨さや原爆の恐ろしさを理解するきっかけとなり、平和を祈る気持ちが自然と芽生えるのです。
寄贈が増えている背景
記事によると、全国の原爆資料館や平和記念資料館などに、被爆手記の寄贈件数が大幅に増加しています。その主な理由として挙げられているのが、被爆者の高齢化です。被爆を直接体験した方々が人生の終盤を迎え、「自らが経験したことを次の世代に伝えたい」「自分がいなくなっても体験を風化させたくない」という強い思いから、自身の記録を資料館などに託すケースが急増しているのです。
また、被爆者本人が直接寄贈するだけでなく、亡くなった家族の遺品を整理する中で手記が見つかり、子ども世代や孫世代が「この記録は誰かの役に立つかもしれない」と寄贈するケースも少なくないと言います。家族の中で語られなかった戦時体験が、文字として残されていたことに驚きと感動を覚える人も多く、記録の重要性を再認識するきっかけともなっています。
記録から学ぶという文化
私たちは歴史を教科書で学ぶことはできても、その時代に生きた人の心情までは知ることができません。しかし、被爆手記のような個人の記録は、歴史書では語られない声を伝えてくれます。瓦礫の中で助けを求める声に耳をふさぐしかなかった若者、焼け野原の中で子どもを抱きしめる母親、放射線障害に苦しむ日々を懸命に生きた人々――そうした一つ一つの物語は、小説やフィクションではなく「現実」でした。
これらの手記は、私たちが「今」を生きる上で、非常に重みのある教訓を与えてくれます。たとえば、戦争のもたらす悲劇は何だったのか。なぜ原爆が投下され、なぜあの日に多くの命が奪われたのか。武力によって平和が得られないという現実を、手記は私たちに静かに語りかけてきます。そして、「私たちはこの記録を未来へどのように伝えるのか」という問いもまた、常に投げかけられているのです。
風化との闘い
被爆手記の寄贈が増えている一方で、現代社会では戦争を直接知らない世代が増えています。学校教育やメディアを通じて「知識」として戦争や原爆を学ぶことはできても、「当事者の視点」で感じる経験が乏しいのが現実です。つまり、戦争の記憶が「風化」してしまうことへの危機感が、より一層高まっているのです。
被爆者の証言を直接聞く「語り部」活動も高齢化により継続が難しくなってきており、そうした中で手記の存在は極めて重要です。読み手に委ねられた文字の力で、時代や空間を越えて一人の体験者と向き合える手記は、「記憶のバトン」を未来に渡すための貴重な手段なのです。
デジタル化など新しい取り組みにも期待
最近では、一部の資料館などで被爆手記をデジタルでアーカイブし、誰でも閲覧できるようにする動きも進んでいます。寄贈された手記を保存するだけでなく、それをいかにして多くの人に伝えていくかが大きな課題となっています。紙の手記は時間とともに劣化しますが、デジタル化によって永続的に保存することが可能になります。
また、読み仮名や現代語訳を加えることで、若い世代にも理解しやすい形で届ける工夫も始まっています。こうした取り組みにより、手記は「保管される資料」から「広く共有される教材」へと役割を変えつつあります。
私たちにできること
被爆手記は単なる文学作品ではなく、命をかけて残された「真実の声」です。私たちがそれを「過去の話」として受け止めるのではなく、「今」や「未来」に繋がるメッセージとして心に刻むことが何よりも大切です。
図書館や資料館を訪れる中で手に取ること、記事やエッセイで紹介される手記を読むこと。SNSを通じて想いを共有すること。どんな小さな行動も、記憶を未来につなげるための一歩です。たった一人の記録が、世界を変えるきっかけになるかもしれないのです。
時代が流れても、決して変わらないものがあります。それは「命の尊さ」と「平和の大切さ」です。そして、被爆手記に詰まった一つ一つの記憶は、それを語り継ぐための確かな光となってくれます。
今こそ、人々の言葉に耳を傾け、その声を未来へと受け継いでゆくときです。