瀬戸内海に浮かぶ大久野島。温暖な気候と穏やかな自然に囲まれたこの小さな島は、いつしか「ウサギの楽園」として国内外から多くの観光客を引き寄せる人気スポットになりました。島には数百羽ともいわれるウサギが自由に跳ね回り、訪れる人々はふわふわとした愛らしい動物たちとの触れ合いを求めて、にこやかにカメラを構えます。
しかし、その「楽園」の裏側には、見えづらい問題が静かに広がっていました。ウサギたちは実は外来種であり、その繁殖と生息が島の生態系や地域環境にさまざまな影響をもたらしているのです。今回は、「ウサギの島」として知られる大久野島が直面する課題と、共生に向けた模索について深く掘り下げてみたいと思います。
ウサギの島と呼ばれる理由
大久野島にはかつて、毒ガスの製造工場が存在していました。その歴史を継承するために現在では「毒ガス資料館」が設けられ、戦争遺産を伝える場所としても機能していますが、それ以上に注目を集めるのがウサギの存在です。観光ポスターやテレビ番組で紹介されたことで、いつしか「ウサギの島」と呼ばれるようになり、多いときには島の人口をはるかに上回る数の観光客が訪れます。
観光客がウサギに餌を与えることが当たり前になり、さらにウサギたちが人に慣れたことで、島内を歩けばあちこちに姿が見られるようになりました。ウサギを目当てに訪れる人の増加も相まって、10年以上前と比べるとウサギの数は急増。自然繁殖によって、現在では数百羽ともいわれる規模にまで拡大しています。
外来種という側面
その愛らしさとは裏腹に、ウサギたちは生態的には本来この島に居なかった外来種にあたります。導入された経緯には諸説ありますが、戦後に研究目的で飼育されていた個体が放たれたという話や、観光促進の一環として放たれたという説もあります。現在生息しているウサギたちは、人間の影響で島に入り込んだ存在であり、自然界の食物連鎖や植生バランスを考慮したときに、無視できない要素を持っています。
具体的に問題視されているのが、ウサギによる草木の食害です。島内の草地や低木が食い荒らされ、新たな植物が育ちにくい状態が続いているといいます。これは単に景観の問題にとどまらず、昆虫や小動物など他の生物の生息場所をも脅かし、生態系全体のバランスを崩す恐れがあります。また、ウサギのフンが土壌に及ぼす影響も長期的には無視できないものとなっています。
さらに、ウサギは夜行性で、山中に生息している個体が多いため全体の生息数を把握するのが難しく、適正な管理も困難です。観光客が日中に接する個体は氷山の一角に過ぎず、実際にはより多くの個体が人目に触れない場所で自由に繁殖を続けているとされています。
人とウサギの共生に向けて
こうした現状を受けて、地元自治体や研究機関の間では、ウサギとの「共生」をどう実現するかが大きな課題となっています。ウサギを害獣扱いして排除するのではなく、観光資源としての価値を維持しながらも、自然とのバランスを保つにはどうすればよいか。この問いに対する答えは、決して容易ではありません。
現在行われているのは、まず正確な個体数の把握を目的とした調査活動です。ドローンや赤外線カメラなどの技術を活用して、山中での生息状況を観察し、多すぎると判断された場合は不妊処置などを行う計画も検討されています。また、観光客に対してウサギの取り扱いに関する啓発活動を強化するなど、人間側の意識改革にも取り組んでいます。
たとえば、決められた餌以外は与えない、エサやりの場所を限定する、あるいはウサギの健康や生態系を守るために野生動物として尊重する姿勢を持つ、といった行動が求められています。観光に訪れるひとりひとりの心がけ次第で、環境への負荷を大きく変えることができるのです。
また、島の景観保全や持続可能な観光の在り方についても、地域住民や専門家を交えた対話の場が持たれています。ウサギに限らず、観光資源が増えるほど環境負荷が高まるというジレンマは多くの観光地が抱える共通課題です。大久野島がどのようにそのバランスを取っていくのかは、他地域の持続可能な観光モデルの参考にもなるでしょう。
私たちにできること
可愛らしいウサギたちに癒されるのは自然な感情です。しかし、その裏にある現実や課題にも目を向けることは、これからの社会においてとても大切になっていきます。自分たちが何気なく与えている行動が、彼らの生態や暮らし、果ては島全体の自然環境にどう影響するのか。その視点を持つことが求められています。
大久野島を訪れるなら、ウサギたちの生命に敬意を払いながら接するようにしましょう。必要以上に餌を与えない、驚かせたり追い回したりしないといった基本的なマナーを守ることはもちろん、スタッフの指示や案内にもきちんと耳を傾けてください。
ウサギは人の手で持ち込まれた存在です。そしてまた今、人の手によってその未来が大きく左右されようとしています。愛される存在としてのウサギと、豊かで持続可能な自然環境。その両立こそが、真の意味で「ウサギの島」としての価値を保っていく道ではないでしょうか。
観光客、地域住民、そしてウサギたち。すべての命が心地よく共存できる未来を目指して、私たち一人ひとりが今できることを考えていくことが求められています。それは、決して難しいことではありません。少しの思いやりと、自然への敬意。それだけで、大久野島の「楽園」はさらに美しく、豊かなものになるはずです。