2024年6月、パリ五輪代表選考を兼ねて行われた日本選手権男子100メートル決勝において、大きなドラマが生まれました。陸上短距離界の第一人者であり、長年日本を代表してきたスプリンター・桐生祥秀選手が、見事に3位入賞を果たし、男子4×100メートルリレーのパリ五輪代表メンバーに内定しました。
この記事では、今回のレースで見せた桐生選手の姿、彼のこれまでの歩み、そして多くの人の心を動かした感動の涙について、振り返ってみたいと思います。
■ 歴史的快挙の影にあった苦悩と葛藤
桐生祥秀選手といえば、2017年に日本人史上初となる9秒台(9秒98)を記録した、日本短距離界のパイオニアです。その名を聞いて、多くの人があの瞬間を思い出すのではないでしょうか。数々の国際大会にも出場し、男子4×100メートルリレーではリオオリンピック銀メダルや世界陸上のメダル獲得メンバーとして、日本陸上界の一時代を築いてきました。
しかし、そんな桐生選手も年齢と共に次第に苦戦を強いられるようになります。記録が伸び悩み、若手の台頭もあって、代表争いはますます熾烈になっていきました。昨年の世界選手権やアジア大会の代表から漏れた際には、「そろそろ限界か」という声すらもささやかれていたほどです。
■ 今季、復活の手応えをつかんでいた
しかし、桐生選手は簡単には諦めませんでした。今年4月、29歳となった桐生選手は「若い頃のように無理に追い込まず、体を大事にするスタンスで練習している」と語っており、落ち着きと経験を武器に徐々に調子を上げてきていました。
今季に入ってからは、国内大会で安定した成績を残し、日本選手権直前には10秒06という好記録もマーク。このタイムは、かつての爆発的なスピードというよりは、技術と経験から生み出された完成度の高い走りがあってこそのものでした。
■ 「人生で初めて」喜んで流した涙
そして迎えた日本選手権。男子100メートル決勝には、日本を代表するスプリンターが勢ぞろいしました。結果は小池祐貴選手が優勝、サニブラウン・アブデル・ハキーム選手が2位。そして、桐生選手が3位に滑り込みました。このレースによって、桐生選手は男子4×100メートルリレー代表の座を確保することがほぼ決定的となりました。
フィニッシュ直後、桐生選手は両膝に手をつき、しばらく動けず、やがてゆっくりと顔を上げると、目には涙が浮かんでいました。レース後のインタビューで彼はこう語りました。
「うれしくて泣いたのは初めて。アリゾナでサニブラウンやクレイ(コールマン)と一緒に練習してきて、その成果が出た。それが何よりうれしかった。」
長いスランプ、年齢と向き合う葛藤、周囲からの期待とプレッシャー。それらすべてを乗り越えて掴んだこの3位という結果は、彼にとってただの数字以上の意味があったのでしょう。これまでの歩み、努力、そして仲間とともに取り組んだ日々が、すべて凝縮された一瞬だったのです。
■ チームの一員として、再びオリンピックの舞台へ
男子100メートル単独での五輪出場はかないませんでしたが、桐生選手はリレー代表という形で、再びオリンピックの舞台に立つことになります。2016年リオ、2021年東京に続いて3大会連続での五輪出場となる予定です。
男子4×100メートルリレーは、日本が世界と対等に戦える数少ない陸上競技の一つ。その歴史の中で、桐生選手はこれまでも中心的な存在でした。今回、再び代表として選ばれたことにより、彼の経験とリーダーシップがチームに大きな力を与えることは間違いありません。
■ 世代交代の中で見せた、トップアスリートの在り方
近年の日本陸上界では、サニブラウン選手をはじめとする海外組や、若手スプリンターの台頭が目立っています。トップレベルの争いがますます激化する中で、30歳を目前にしてもなお第一線の舞台に返り咲いた桐生選手の存在は、「年齢は関係ない」「努力は裏切らない」というメッセージを強く示してくれました。
自らも「20代最後にして、結構いい走りができた。年齢を理由に走らないわけにはいかない」と語っており、その言葉と行動に、同世代のみならず多くのアスリート、そしてスポーツファンが勇気づけられたことでしょう。
■ 感動の涙は、自分にかけた期待と誇りから
桐生選手の涙は、ただ嬉しかったからだけではないはずです。それは、長年自分自身と向き合い続けてきた彼が、“まだやれる”ということを自らに証明できた瞬間の涙であり、あきらめずに挑戦し続けた者だけが味わえる、特別な達成感によるものでした。
トップを走り続けるのも大変ですが、落ち込んだ後にもう一度這い上がってくるのは、さらに難しいことです。それを実現させた桐生選手の姿に、多くの人が胸を打たれたのではないでしょうか。
■ パリ五輪でのチームジャパンに期待!
パリ五輪まで、あとわずか。リレーでも個人でも、日本のスプリント陣は世界と戦える力を持っています。桐生選手のような経験豊富な選手が加わることで、チームとしての総合力は大いに高まるはずです。
リオ五輪での銀メダル再現、そしてそれを超える成績を期待せずにはいられません。桐生祥秀選手が再びオリンピックの舞台で、その全力を刻んでくれるのを、多くのファンが楽しみにしています。
彼の涙は、挑戦するすべての人へのエールでした。年齢、失敗、スランプ――あらゆる困難を受け入れ、それでも前に進んだ桐生選手の姿は、これからも多くの人の心に残ることでしょう。