保育の現場で見つめ直すべき「言葉のちから」──給食をめぐる出来事から考える
保育園は、幼い子どもたちが初めて社会生活を経験する大切な場所です。家庭とは異なる環境の中で、子どもたちは友達と過ごし、保育士の先生たちから多くのことを学びながら成長していきます。そのような中、2024年6月に報道されたある保育園での出来事は、多くの人々に驚きと考えるきっかけを与えるものでした。
「給食を食べ渋っていた園児に対し、保育士が不適切な暴言を吐いた」として、その保育士が所属する自治体から処分を受けたというニュース。この件は、保育における大きな課題の一つである「子どもとのコミュニケーションの在り方」に一石を投じるものです。
この記事では、この報道内容をもとに、なぜこのような出来事が起きたのか、その背景には何があったのか、そして私たち大人が子どもと接する上で大切にしなければならないことについて、改めて考えてみたいと思います。
保育士による暴言の概要
報道によると、問題となったのは、ある公立保育園に勤務する女性保育士が担当していた園児への対応でした。給食の時間に、ある園児が給食を食べることに対して渋っていた際、その子どもに対して保育士が乱暴な言葉を投げかけたとされています。
具体的には、「わがまま言うな」「みんな食べているのになんであなたは食べないの」など、子どもの行動に対して威圧的な言葉をかけたとのこと。この行為が虐待的であるとの判断がされ、自治体から正式な処分が下されたというものです。
保育士はすでに子どもや保護者に謝罪を済ませており、園側も管理体制の見直しを進めていると報じられています。また、自治体は、職員への研修強化や再発防止策に取り組む方針を示しています。
給食の「たべ渋り」は子どもの自然な行動
このニュースから私たちがまず理解しなければならないのは、「給食を食べ渋る」という行動は、成長段階の子どもにとって珍しいことではないという点です。
子どもたちは、食感や味が苦手な食材に対して敏感であり、また環境の変化や体調によっても食欲が左右されやすいものです。これは決して「わがまま」ではなく、その子どもが今取り組んでいる「挑戦」の一部とも言えるでしょう。
保育の現場では、食を楽しいものと感じてもらう工夫が重要です。無理に押し付けるのではなく、一緒に匂いをかいでみたり、少量ずつ挑戦したり、周囲の子どもたちが美味しそうに食べている様子を共有したりと、さまざまな方法で食への興味を引き出していくことが求められます。
言葉の重みを知る──保育士の役割とは
保育士は、子どもの心と体の両方の健康を支える、非常に重要な存在です。特に言葉の使い方は、子どもの自己肯定感に大きな影響を与えるため、とても慎重になる必要があります。
子どもは、大人が何気なく放った一言に強く影響を受けることがあり、それは時に「自分はダメな子なんだ」と思い込み、深く心に傷を残してしまう場合もあります。今回の報道のように、感情にまかせた否定的な言葉は、子どもにとって大きなストレスとなるだけでなく、信頼関係をも損なってしまいます。
一方で、保育士が日々、限られた人員と時間の中で多くの子どもたちをケアしているという点も忘れてはなりません。時にプレッシャーや疲労のなかで適切な対応が難しくなることもあるでしょう。だからこそ、保育士一人ひとりに対するサポート体制や労働環境の整備が、子どもに対する丁寧な対応を可能にする土壌となるのです。
必要なのは責めることではなく、見直しと再出発
今回の件において、報道された内容だけをもとに保育士個人を過度に批判することは避けるべきでしょう。もちろん、暴言というかたちで子どもを追い詰めたことは不適切な対応であり、再発を防ぐための見直しは不可欠です。しかし、それはあくまで保育の質を高めるための一歩であり、誰かを糾弾することが目的ではないはずです。
社会全体として必要なのは、保育士がより豊かな心で子どもに向き合える環境を整えること、そして子どもたちの個々のペースを受け入れる寛容さを育てることです。
そのためには、自治体や保育施設だけでなく、保護者、教育関係者、一人ひとりの市民が「子どもを取り巻く環境」について主体的に関心を持ち、協力し合っていく姿勢が求められます。
「誰もが成長の途中にある」という視点を大切に
私たちは時に子どもたちに「早くしなさい」「みんなと同じようにやりなさい」と求めがちですが、それぞれの子には、その子なりの成長スピードがあります。
食べること、話すこと、走ること──どれもが成長の一環であり、上手にできないからといって責められるものではありません。大切なのは、「できたね」「頑張ったね」と声をかけ、子ども自身が「自分にもできる」と感じられる体験を積み重ねることです。
その思いは、大人に対しても同じです。子どもに接する大人もまた、学び続け、試行錯誤を続ける日々の中にいます。間違いがあるからこそ、そこから得た気づきを成長につなげることができるのです。
おわりに
報告された保育士による言葉の問題は、私たちが子どもにどう接し、どのように育てていくべきかを問い直す機会となりました。言葉には人を傷つける力もあれば、癒しや励ましの力もあります。保育の現場に限らず、家庭や学校、社会全体でも「言葉のちから」を意識し、お互いに温かいコミュニケーションを育んでいくことが求められています。
一人ひとりの気遣いが、未来を支える子どもたちにとってより良い社会をつくっていく。今回の出来事を通じて、私たちが次に踏み出すべき一歩は、きっとそこにあります。