「“両立”から“共存”へ――堀井美香アナウンサーが語る、仕事と家庭の本当のバランスとは」
元TBSアナウンサーであり、現在もナレーターや司会者として活躍する堀井美香さんが6月10日、東京都内で行われた「WOMAN EXPO TOKYO 2024 Spring」に登壇し、自身のキャリアと家庭生活、そして“両立”という言葉について率直に語りました。
「もう“両立”という言葉に違和感がある。できる、できないではなく、どう共存していけるかを考えることが大切」
そう語る堀井さんの口調は穏やかでありながら、その言葉には強い実感と経験が滲んでいました。「WOMAN EXPO TOKYO」は働く女性たちに向けた講演やイベントが催される場で、多くのビジネスパーソンが耳を傾けました。
堀井美香さん——1972年生まれ、秋田県出身。日本大学芸術学部を卒業後の1995年、TBSへ入社。以来、ニュース、バラエティ、音楽番組、ラジオとさまざまなフィールドで活躍してきました。象徴的なのは、長年にわたる『王様のブランチ』での進行、そしてTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』でのナレーションや、ニュース読みの安定感です。
そんな彼女が2022年にTBSを退社したというニュースは、多くの視聴者に驚きをもたらしました。しかしそれは、人生の次なるステージへの自然な歩みでもありました。
今回の登壇で語られたのは、まさにこの「次のステージ」へ進む過程、そしてその中で改めて感じた、仕事と家庭の在り方です。
「『仕事と家庭の両立』って、すごく優等生的な言葉だけど、実際にはどちらかを犠牲にしていることもある。どちらも完璧にしようと頑張りすぎると、自分自身が壊れてしまうこともある。だから私は今、共存という発想で考えているんです」
堀井さんは、3人の子どもの母でもあります。数年前、子育てと多忙な仕事に追われる日々の中で、自身の心と体に限界がきたことがあったと言います。
「朝、子どものお弁当を作り、送り出して、スタジオ入り。その後仕事を終えて、また夕食の準備。もちろん、子どもの話もちゃんと聞いてあげたいし、学校の面談もある。でも、それを“全部完璧にこなさなきゃ”って思っていたら、気付けば自分の時間が1秒もなかった。『あれ、私って何のために生きてるんだろう』とまで思ったことも」
そんな状況から抜け出すきっかけになったのが、「手放す」ことだったと言います。
「母だから○○すべき、妻だから○○をやらなければ、アナウンサーだから○○を失敗してはいけない。そんな“呪縛”を一つひとつ見つめ直して、時には手を抜き、時には委ねることを覚えたんです」
転機となったのがラジオやナレーションの仕事。テレビ局という組織を離れてフリーになった今、より自由度が高まり、自分の生活に合わせて働き方を調整できるようになったことで、心のバランスが整ってきたと語ります。
しかし、それは“楽をする”ことや“逃げる”ことではなく、自分にとって「持続可能」な働き方や生き方を見つけるという、ある意味で非常にチャレンジングな取り組みでした。
「会社に属していた頃は、部署の意向、編成の方針に応じて働いていた。でも今は、自分に何ができて、何をしたいかを自分で考えて提案し、それを形にしていく働き方。大変だけど、すごく充実しています」
堀井さんの話に共感する女性たちの姿が、今回の会場には多く見られました。自身もまた子育てや介護、パートナーの転勤など、多様なライフイベントにぶつかりながら働き続ける女性たちにとって、堀井さんの「共存」の考え方は、大きなヒントになったはずです。
「完璧じゃなくていい。むしろ不完全な部分を認め合える関係性が、仕事でも家庭でも最も大切だと思う。自分や家族が今、何を一番大切にしたいかを話し合うことが必要」
その語り口には人生経験に基づく深い説得力があります。堀井さんはラジオの世界でも「言葉選びの確かさ」で知られていますが、その技術は現実を直視し、そして時に言葉に詰まりながらも「正直に伝える」姿勢に裏打ちされています。
これからの時代、働き方も生き方も、昔ながらの「理想の姿」から柔軟な「自分だけのスタイル」へと大きくシフトしつつあります。堀井さんは、まさにその過渡期の「今」を生き、そして語ることで、多くの人の気持ちに寄り添う存在となっています。
講演の最後、彼女が口にした言葉は、来場者の記憶に深く残ったに違いありません。
「いつか子育てが終わって、また人生が変わるタイミングが来ても、私はそのときの“私らしさ”を見つめて生きていきたい。共存しながら、変わり続けることを恐れなくていいんです」
静かな拍手が、講演会場を包みました。
年齢や立場に関係なく、自分の人生をどうデザインしていくか。堀井美香さんの実体験に基づくメッセージは、現代を生きる私たち一人ひとりに、多くの気づきをもたらしてくれました。どこか勇気をもらえる、そんな時間だったのです。