戦後79年、今もなお語り継がれるべき体験――「原爆 胴体から上だけになった夫」
2024年、広島・長崎への原子爆弾投下から79年を迎えます。あの悲劇からこれだけの年月が経っても、当時の体験を語り継ぎ、後世に伝えていこうとする取り組みは途絶えていません。そして、耳を塞ぎたくなるような現実もまた、確かにありました。
「胴体から上だけになっていた夫」――そんな言葉を口にしたのは、被爆者の女性、渡辺睦子さん(93)です。彼女は、自らの半生をかけて、原子爆弾が一人の人間・家族・暮らしにどれほどの影を落としたのかを語り続けています。その証言は、戦争の悲劇を思い出す上で欠くことのできない、大切な記録のひとつです。今回は渡辺さんの証言を通じて、私たちが改めて考えるべき「核兵器とは何か」「平和とは何か」に迫ります。
“あの日”の広島 ――焼け爛れた家族の記憶
1945年8月6日午前8時15分。広島市の上空で投下された一発の原子爆弾により、街は一瞬にして火の海と化しました。その日、渡辺さんは17歳。家族とともに広島市内の自宅にいました。突然の閃光と爆風であたりは真っ白になり、その後すぐに「地獄のような」光景が広がったといいます。
炎に包まれた街、泣き叫ぶ人々、皮膚が剥けて手を伸ばしながら歩く子どもたち――渡辺さんは、あの日の情景を、生涯忘れることはできないと語ります。
その中でも最も強烈な記憶として残っているのは、焼け跡で再会した夫の姿でした。
夫は兵役でしばらく不在だったものの、爆心地近くの兵舎に戻っており、原爆投下により命を落としました。渡辺さんがようやく夫を捜し当てた時、そこにあったのは、近くの川辺に横たえられた「胴体から上だけの遺体」でした。火災と爆風によって遺体の大部分が焼失し、顔と胸の一部のみが判別できたと言います。
「名前を呼びました。でも、応えてくれることはなかった」
――そう語る渡辺さんの目には、79年経った今も涙が浮かびます。
語り部としての使命、「伝える」ことに懸けた人生
渡辺さんは戦後、広島市を離れ、家族と共に再出発する道を選びました。しかし、戦争で失った記憶と痛みは、その後の生活の中でも決して消えることはなかったそうです。
「二度と、あんな経験をしてはいけない。ましてや、子どもたちには絶対に」
そんな思いから、60代になってから語り部としての活動を始めました。広島平和記念資料館や全国の学校に出向いては、自身の体験を語り続け、被爆のリアルを次世代へ伝える努力を重ねてきました。
「話すのはつらい。でも話さないと、忘れられてしまう」
そう思うようになったのは、孫娘が小学生の時に、戦争や原爆について何も知らなかったことがきっかけだといいます。自らの体験が「歴史」になってしまう前に、「生の証言」として伝えておきたい。渡辺さんは「誰かが受け継いでくれるまで、語り続ける」と強く語ります。
若い世代との対話から生まれる希望
近年では、特に若い世代と積極的に関わる活動にも取り組んでいる渡辺さん。対面の講演に加え、オンラインでの語り部講座や被爆証言のデジタルアーカイブ作成にも関わってきました。
中学生や高校生との対話を通じて、「知らなかった」「原爆は遠い昔の話だと思っていた」という反応が多い一方で、「初めて聞いて胸が痛くなった」「もっと知って、友達に伝えたい」という前向きな声も増えてきているといいます。
戦争体験者の高齢化が進むなか、証言者の声をどうやって後世に残していくか――それが今、全国で問われる大きな課題です。渡辺さんのように「伝える意志を持つ人」の存在は、まさに灯火のような存在として、多くの人に希望の光を与え続けています。
心に刻むべき「平和」と命の重み
「戦争を知らない世代」が大半を占める現代において、体験者の証言は何よりも貴重です。それはただの悲しい話ではなく、命の大切さ、分かち合いの尊さ、そして平和の有難さを、私たちに深く訴えかけてきます。
「爆風で飛ばされた本棚の下から、奇跡的に助かった家族写真をいまも大事にしている」――そんなエピソードにも、ひとつひとつの命がどれほどかけがえのないものだったのかがにじみ出ています。
そして、夫を失いながらも、「もう二度と繰り返させてはならない」と強く、静かに決意した渡辺さんの姿は、私たち一人ひとりにとっても、今できる行動・今考えるべき未来へ向けての問いかけになっているように思えてなりません。
命を尊ぶこと、平和を願うこと、争いを回避しようと努力すること――これらは政治でも軍事でもなく、私たち一人ひとりの日々の選択から始まるものです。
最後に
渡辺睦子さんの言葉、そして戦争が奪ったかけがえのない風景を通して、私たちは「原爆とは何だったのか」「なぜ語り継ぐ必要があるのか」をあらためて心に刻むべきではないでしょうか。
現在、多くの証言者が高齢になり、語り手が少なくなっています。だからこそ、今を生きる私たちが、こうした向き合うべき歴史に耳を傾け、学び、次の世代に「伝える力」を持つことが、求められているのかもしれません。
この夏、ぜひ家族や友人とともに、広島・長崎の歴史に触れる機会を持ってみてはいかがでしょうか。そして、79年前の「声なき叫び」に、少しでも耳を傾けてみてください。
平和は、私たち一人ひとりの手によって守られるものなのです。