「毎日が地獄です」は商標? 社会に問いかける“表現”と“権利”のあり方
2024年6月中旬、ニュースメディアを中心に「『毎日が地獄です』は商標 社訴え」という一報が大きな話題を呼びました。一見すると、これは単なる商標登録に関するニュースに思えるかもしれません。しかし、この報道の裏には、「表現の自由」、「知的財産権のあり方」、しいてはSNS時代における“言葉の意味”や“空気感”に対するさまざまな問題提起が含まれています。
この記事では、「毎日が地獄です」という言葉にまつわる商標登録とその影響、そして現代における表現と権利の関係について、わかりやすく解説します。
■話題の発端:“日常の一言”が商標に?
すべての発端は、ある人気同人作家が描いた作品に出てくる印象的なセリフでした。それが「毎日が地獄です」。この言葉は、本来キャラクターを通して語られた、少し自嘲的でありながら共感を呼ぶもので、SNSなどでも多くの人たちの“あるある”として使われるようになっていきました。
ところが、このフレーズが第三者によって商標登録されたことが判明し、ネットユーザーを中心に騒然となったのです。登録された商標は複数の区分で出願されており、その中には衣類や雑貨、紙製品など多岐にわたる商品カテゴリが含まれています。
その結果、「この言葉を使ったら法的な問題になるのでは?」、「創作活動や日常会話で使えなくなるのでは?」といった不安や混乱が巻き起こりました。
■商標とは? どこまでが保護されるのか
そもそも、商標とは何でしょうか? 簡単に言うと、商品やサービスを識別するための“マーク(しるし)”であり、その使用に独占的な権利を与える制度です。主に企業や個人が、自社の商品・ブランドを他と区別する目的で登録します。
たとえば「○○コーヒー」、「△△化粧品」などのおなじみの名前やロゴは、この商標制度に基づいて保護されています。しかし登録されたからといって、日常会話でその言葉を使ってはいけないわけではありません。問題になるのは「商標として登録された区分に沿って、営利目的で使用した場合」です。
つまり「毎日が地獄です」がTシャツにプリントされて商品として販売されるなど、この登録に該当するような使い方をした場合にのみ問題になり得る、というのが基本的な枠組みです。
■“誰かの言葉”が“誰かのもの”になる?
今回の件では、「誰でも使っていた共感の言葉」が、突然“特定の人の権利に属する言葉”になったと感じられた点に、多くの人の違和感が生まれました。
本来、こうした何気ない日常のフレーズや、広く一般に浸透している言葉が商標登録された場合、使う側の自由を不当に制限するおそれがあります。この点においては、過去にも類似の事例がありました。
たとえば「ほっともっと」「ありがとう」「がんばれ」など、一般的な言葉が商標登録されたケースがあります。もちろん、その言葉が何に対して、どのような区分で登録されているかによって実際の効力は異なりますが、言葉の自由な流通を制限しかねない点で、繊細な議論が必要となるのは確かです。
■創作者の声と法的な対応
今回、問題となった言葉をもともと用いた同人作家側も、当初は商標登録されるとは思っていなかったようです。しかし、商標を取得した人物がグッズ販売や出典作品への使用を制限しようとする動きを見せたことで、一気に状況は緊迫化。
これを受けて、作家は自身のTwitter(現X)やブログを通じて、ファンや読者に対し現状を説明するとともに、法的措置をとる方針を明らかにしました。そして、権利関係の整理および調整のため、商標無効審判(登録取り消し申請)を特許庁に対して行う可能性も検討している状況です。
また、商標を取得した側の人物に対しても、インターネット上ではその意図や正当性について議論が巻き起こっています。一方では「合法的に申請したのだから問題ない」とする見方もある一方、他方では「他人の創作を利用して利益を得ようとしている」とする批判的な意見もあります。
■SNS時代における“言葉の透明性”と“ルール”
この事案は、ただの法的手続きや商標トラブルと片づけてしまうにはもったいない、多くの示唆を含んでいます。
今の時代、SNSや動画サイト、ブログなど、個人でも容易に情報を発信し、多くの人と繋がれるようになりました。それにより、「言葉」の力もまた膨らんできています。誰かのつぶやきが、多くの人の共感や笑い、涙を生み、時には社会的ムーブメントとなることもあります。
そうした中で、“誰の言葉であるか”や“その言葉を誰がどう保有してよいか”という点は、これからますます重要なテーマとなっていくでしょう。
言葉には、人の感情や経験が詰まっています。それをいきなり“所有物”とし、他者に使わせないというアプローチには、やはり慎重な判断と配慮が必要です。
■私たちはどう向き合えばいいのか
では、私たち一般ユーザーやコンテンツを楽しむ側は、このような問題にどう向き合えばよいのでしょうか?
まず一つは、知的財産権に対する正しい理解です。商標だけでなく、著作権、意匠権、特許権など、どれも共通するのは「アイデアや表現を守り、正当な利益と自由を保障する」ための制度だという点です。法律があるからこそ、創作活動や商品開発が安心して行えるのです。
しかし一方で、それが過度に厳格になりすぎることで、自由な交流や文化の発展が妨げられては本末転倒です。
SNSやインターネットを用いた発信が自分の日常の一部となっている今こそ、そこにある表現や言葉が、どのような背景で誰に使われているか、そして自分がどう使うべきかを、一人一人が考える必要があるのではないでしょうか。
■まとめ:「共感の言葉」は誰のものか
「毎日が地獄です」という一見ありふれた言葉が、思わぬ騒動を巻き起こしました。しかしこの問題は、これからの言語表現社会にとって、決して他人事ではありません。
言葉の力をどう守るか。そして誰かが作り出した表現を、どう敬意をもって使っていくか。その答えは、法律だけで導き出せるものではないのかもしれません。
今後の商標の運用や、創作文化との兼ね合いについて、私たち一人ひとりが意識を持ち、自分の中で答えを見つけていくこと。それが、表現の未来を豊かにする第一歩となることでしょう。