タイトル：農協は「悪」ではない――元職員が語る、誤解と現実
日本各地に根を張る農業協同組合、通称「農協（JA）」は、長らく日本の農業を支える屋台骨として地域社会に深く浸透してきました。しかし近年、農協に対して「既得権益の象徴」「時代遅れの組織」とする批判が取り沙汰されるようになり、一部には「農協は農業の発展を妨げている」とする厳しい声も聞かれます。
そんな中、「農協は決して悪の組織ではない」と語るのは、元農協職員であり現在農業ライターとして活動する中島信一さん（仮名）。約30年間にわたって農協の中で働き地域農業の支援に携わってきた人物だからこそ語れる、農協の本当の姿とはどのようなものなのでしょうか。
この記事では、中島さんの経験をもとに、農協に対する誤解、実際の役割、そしてこれからの農業に求められる関係性などについて、わかりやすく解説します。
農協とは何か：本来の意義と役割
まず理解しておきたいのは、農協＝農業従事者を支える協同組合であるという原点です。
農協の起源は、戦後の日本において食糧供給体制の再建と農業振興を目的に設立されたものです。農作物の出荷や販売を共同で行ったり、農機具や肥料・農薬などの生産資材を安く供給したりすることで、零細農家でも安定した生産と収入が得られるよう支援してきました。
また、農協は単なる生産や経済活動のための組織ではありません。信用事業（農協が運営するJAバンク）や共済事業（農協の保険部門）を通じて、農家の生活をまるごと支える「ライフライン」として機能してきました。たとえば、農業の収入では住宅ローンを組むことが難しい農家でも、JAバンクにとっては「地域で信頼された組合員」として十分な信用力が評価されたりします。
現場で感じた「誤解」と「偏見」
中島さんは、農協に対する批判が強まっていることについて、「現場を知らずにイメージだけで語られていることが多い」と語ります。
「農協が農家から搾取している」「価格交渉を独占している」といった批判がよく聞かれますが、中島さん自身の経験では、むしろ農家の利益を守るために地道な交渉を続ける日々だったといいます。
「生産者の苦労を肌で知っていますし、一人ひとりの農家が良い条件で作物を出荷できるよう、取引先との価格調整には本当に気を遣いました。時には規模の大きい業者に粘り強く交渉して、不利な取引にならないよう努力しました」と中島さんは振り返ります。
にもかかわらず、一部のメディアや評論家は、農協を「旧態依然たる権益の塊」と断じることがあります。その背景には、情報の非対称や現場との距離感があると言えるでしょう。
なぜ農協への批判が起こるのか
農協に対する批判の多くは、制度的な硬直性や、組織としての「内向き体質」に関連しています。
例えば、若手農業者の間では「農協を通さずに販路を拡大したい」「インターネット直販を活用したい」といったニーズも強まっています。これに対して農協側がすぐに対応できないと、「足を引っ張っているのではないか」と批判されがちです。
中島さんも、「農協が現代の多様なニーズに即応できていない一面も確かにある」と認めつつ、理由についてこう述べます。
「農協は営利企業ではなく、組合員のための組織です。そのため、すべての方に平等なサービスを提供しようとすると新しいことに踏み切るのが難しい事情があります。特定の人だけが得をするような施策は、組織の理念に反する場合もあるのです」
つまり、農協には農家全体の利益を守らなければならないという「協同組合」としての制約があり、それが時に時代のスピード感と合わない一因となっているのです。
支援の現場で見た「人のつながり」
中島さんが農協で働く中で何よりも実感したのは、「人と人とのつながり」に支えられた農協の重要性でした。
「あるお年寄りの農家さんが、毎年同じように苗の注文に来るんですが、年々作付け量は減っていて、それでも足を運んでくるんです。実は、農作業の規模を減らしても畑に立ち続けることで、生きがいを感じているんですね。そういった方の声を聞きながら支援するのは、単純な経済論理では測れない価値だと思います」
地域の中には、高齢化や後継者不足といった現実に直面する農家が多く、そうした方々にとって農協は営農の相談はもちろん、時に家族のような存在にもなっているといいます。だからこそ、単純に「効率化」や「自由化」の文脈で語りきれない思いやりが存在しているのです。
農協は変わろうとしている
近年では、農協も内部改革に取り組んでいます。全国農業協同組合中央会（JA全中）や各地域の農協では、若手農家との意見交換会や、ITを活用した資材注文・営農支援の推進、オンラインでの農業塾の開催など、時代に即した取り組みを加速しています。
中島さんも、「固定観念にとらわれず地域の声をどう吸い上げ、新しい農業に接続していくかが問われている」と話します。
「これからの農協は、守るべきものを守りながら、新しい風を取り入れていかないといけない。それができれば、また多くの若者が『農業で生きていける』と感じられる社会になると思います」
誤解を解いて、一緒に未来を描くために
私たちが「農協」について語るとき、大切なのは「批判のための批判」ではなく、事実への理解と健全な対話です。
農協には確かに課題があります。しかし同時に、何十年と地域の農業と暮らしを支え続けてきた実績もあります。そして今、その経験とネットワークは、持続可能な農業を実現するための貴重な財産となっています。
元農協職員の中島さんの言葉は、「農協は本来どんな存在だったのか」「今、何を変えようとしているのか」を見つめ直すヒントになります。
これからの日本の農業と地域社会を前向きに育てていくために、農協を含めた多様な立場の人々が協力し、未来に向けて歩んでいく姿勢が求められています。誰かを悪者にするのではなく、共に支え合い、変化を受け入れていく——それが持続可能な農業の鍵となるでしょう。
