2024年4月、ある著名な元検事正による性暴力事件が公になり、日本中に大きな衝撃を与えました。被害を受けた女性が名乗りを上げ、記者会見でその事実を語ったことで問題が明るみに出ましたが、その後、ネット上を中心に苛烈な「二次加害」が発生し、社会全体に深刻な問いを投げかけています。本記事では、この問題の経緯と共に、なぜ二次加害が発生するのか、私たち一般市民がどのように考え、行動すべきかを探ります。
■ 事件の背景と深刻な影響
問題となっている事件は、30年にわたり検察に勤務し、検事正まで務めた元検察官の男性による性加害行為です。被害者は、同じ法律の世界で働いていた20代の女性。この事件の深刻さは、加害者が法の番人としての立場にあった人物だったという点にあります。つまり、社会の正義を守るべき立場にあった人物が、権力を背景に弱い立場の女性に加害を加えていた事実が問われているのです。
被害女性が告発に至るまでには、大変な勇気が必要だったことは想像に難くありません。立場の格差、職場内での影響、社会的目など様々な障壁を乗り越えて、彼女は会見で自らの体験を語りました。これは、同様の被害を受けながらも声を出せずに苦しんでいる多くの人たちにとって、大きな希望にもなったはずです。しかしその後、ネット上では彼女を誹謗中傷するような書き込みが相次ぎ、「二次加害」ともいえる新たな被害が広がってしまいます。
■ 二次加害とは何か
「二次加害」とは、本来の加害行為(性犯罪など)に加えて、その被害者に対して社会が追い打ちをかけるような言動を指します。このケースでは、ネットユーザーの一部が「本当に被害者なのか」「なぜ今になって名乗り出たのか」などといった疑念を投げかけたり、被害女性の過去やプライベートを詮索しようとしたりする行為が問題となりました。
こうした言動が被害者に与えるダメージは計り知れません。心理的な傷を受けた上に、社会からの疑いの目や攻撃にさらされることで、被害者はさらに追い詰められることになります。中には、「声を上げるとさらに傷つけられる」と感じ、真実を語ることをあきらめる人もいるでしょう。
被害者が声を上げたことにより、加害者の行動が明るみに出たにも関わらず、その勇気に対して「疑念」や「非難」、「冷笑」が向けられるという現実。それこそが、私たちの社会が抱える深刻な問題なのです。
■ なぜ二次加害が起きるのか
ここで改めて考えたいのは、なぜこうした二次加害が起きるのかという点です。
一つは、「加害者が有名人」「社会的成功者」であることで、犯行を信じたくないという無意識の思い込みが働く場合があるからです。「そんな人がそんなことをするはずがない」「何か裏があるに違いない」という考えが、無意識のうちに被害者への不信や疑念に繋がります。
また、インターネット上の匿名性も要因の一つです。名前も顔も知られない状況だからこそ、人は無責任に攻撃的なコメントを書き込めてしまいます。特にSNSでは、「いいね」や反応を得たいがために過激な表現を使う傾向があり、それがさらなる中傷を生む「拡散ループ」に繋がるのです。
さらには、私たち自身の心のどこかに存在する「性被害」へのステレオタイプな認識も問題です。被害者像をひとつの枠にはめ、「真面目ないでたち」「抵抗した様子」などがなければ信じないというような偏見が、声を上げる人たちを苦しめています。
■ 社会としてできること・私たちにできること
このような現状に対し、私たちはどのように向き合い、どんな行動を取るべきなのでしょうか。
まず大切なのは、「被害を語る人の声を尊重すること」です。法的な判断は裁判所に委ねられるとしても、それと同時に一人ひとりが持つ「心の中の裁判官」を抑えることも重要です。疑う前にまず「大変だったね」「よく声を上げてくれた」と共感や支援の気持ちを持つことが、コミュニティとしての健全さを保つ第一歩になります。
次に、一人ひとりが発信する情報に責任を持つことです。SNSやコメント欄に投稿する前に、自分の言葉が相手にどう伝わるか、デマではないか、人を傷つける内容ではないかを考える習慣を持つことが大切です。誰でも加害者にも被害者にもなり得る社会だからこそ、「自分には関係ない問題」では済まされないのです。
また、こうした問題に対する正しい知識を得ることも重要です。性暴力やジェンダーに関する理解、被害者に対する繊細な配慮の仕方など、教育の場や社会全体での対話のなかで取り組むべき課題です。若い世代にもこうしたテーマを共有し、「誰かが言い出したことを鵜呑みにしない」「判断は慎重に」といった姿勢を育てていく必要があります。
■ 声を上げられる社会へ
今回の事件は、ただ一人の加害者と被害者の問題ではありません。社会の構造的な問題や、誰もが加害の連鎖に加わりうるという現実を突きつけてきました。
私たちが時に忘れがちなのは、「声を上げること」には強い勇気が必要だということ。どんなに小さな声でも、それが助けを求める声であり、社会を変える可能性を持っているということ。そして、それを受け止める側である私たちが、その声に対してどのような態度を取るかが、今後の社会を左右するのです。
明るい未来を築くためには、被害者や弱い立場にある人々を自己責任として切り捨てず、互いに支え合える社会づくりが求められます。避けることのできないデジタル時代においても、私たちは匿名性の影に隠れず、目の前にいる「誰かの痛み」を他人事と思わないことが必要です。
最後になりますが、どんな形であれ「人を傷つける」ことは絶対に許されるべきではありません。そして、誰かが声を上げたとき、その声に耳を傾ける姿勢を社会全体が持てるように──私たち一人ひとりの行動が、やさしく、あたたかい社会の礎になります。