日本の音楽界に多大なる影響を与えたベーシスト、明石昌夫さんが2024年2月に亡くなられていたことが、ご家族の発表により明らかとなりました。享年66歳。明石さんは伝説的な音楽ユニット「B’z」のサポートミュージシャンとして長年にわたり活躍し、彼の存在はアーティストやファンにとっても非常に大きなものでした。ここでは明石昌夫さんの功績と音楽人生、そしてその影響力について改めて振り返りながら、哀悼の意を表したいと思います。
明石昌夫さんの歩み:80年代から音楽シーンの最前線に
明石昌夫さんは1957年に大阪府で生まれ、学生時代から音楽に情熱を注ぎはじめました。1980年代には既にベーシストとしての才能を認められ、多くのミュージシャンのレコーディングやツアーに参加。その正確で繊細な演奏スタイルと、アンサンブルを引き立てるセンスで、業界内では高い評価を受ける存在でした。
彼の音楽的ポリシーは「目立ちすぎないこと」。派手さを求めず、いぶし銀のようにサウンドを支えるスタイルは多くのミュージシャンとの信頼関係を築くものであり、業界内で唯一無二の魅力を放っていました。
B’zを支えたもう一人のメンバー
明石さんと一般の音楽ファンとの距離が縮まったのは、何と言っても日本を代表するロックユニット・B’zとの関わりです。B’zは1988年に松本孝弘さん(ギター)と稲葉浩志さん(ボーカル)により結成され、瞬く間にトップスターの地位を築いてゆきました。そして、そのサウンドを支えていたのが、ベーシスト・アレンジャーとして明石昌夫さんでした。
特に1989年~1998年頃まで、B’zの数々の名曲は明石さんのアレンジや演奏によって支えられていました。例えば「LADY NAVIGATION」「LOVE PHANTOM」「BLOWIN’」「裸足の女神」といったヒット曲のベースラインやアンサンブルは、明石さんの手によるものであり、彼なくしては完成しなかったと言っても過言ではありません。
B’zのライブツアーにも参加しており、ステージでのキレのあるプレイと、ステージ裏でのチームへの絶大な信頼にもとづいた仕事ぶりは、ファンのみならずミュージシャン仲間からも絶賛されていました。B’zファンの間では「第三のメンバー」として長く親しまれてきた存在です。
アレンジャー・プロデューサーとしても重要な役割
明石昌夫さんの活動範囲は、演奏のみならずアレンジメントやプロデュースにも及びます。数々のアーティストの作品で、彼独自のサウンドメイキングが取り入れられ、日本における歌謡曲・ポップスの進化に寄与しました。
彼のアレンジの特色は、メロディーを自然に活かす控えめながらも高度な表現力。ストリングスやリズムのバランス、音の厚みの計算はすさまじく、聴く者には訴えかけ、演者にとっては心地よさを提供するものでした。特に1990年代のJ-POP黄金期を語る上で、明石さんの貢献は計り知れません。
70歳近くまで音楽活動を続ける中で、若いアーティストへのサポートも惜しみなく行う姿勢には、まさに“音楽人”としての誠実さがにじみ出ていました。表舞台に立つことは少なくなった近年でも、制作現場では堅実なプレーヤー・アレンジャーとして健在だったのです。
惜しまれる早すぎる別れ
そんな中で発表された、明石昌夫さんの訃報。これまで多くのファンやアーティストの心を支えてきた人の死は音楽業界全体に大きな衝撃を与えました。SNS上では、B’zファンをはじめ多くの人々が哀悼の意を表し、「明石さんのベースが大好きでした」「あの時代の音楽を支えていただきありがとうございました」といった投稿が相次いでいます。
また、B’zのお二人からの公式コメントは、掲載当時はまだ出ていないようでしたが、間違いなく彼らにとっても大切な同志を失った悲しみは計り知れないものがあることでしょう。
私たちは、音楽という形で明石昌夫さんと出会い、彼の創り出した世界観に触れ、日々の生活の励みにしてきました。その存在が失われたことは、非常に悲しく、そして寂しいことではありますが、彼の音は、今もそしてこれからも、私たちの心の中に生き続けます。
未来へと受け継がれる音楽の魂
明石昌夫さんが残してくれた数々の名曲、アレンジ、ベースラインは、今もなお多くの音楽ファンの心に生きています。そして今後も、次世代のミュージシャンたちは彼のスタイルに影響を受け、新たな音楽を創り出していくことでしょう。
「音は人なり」という言葉があります。明石昌夫さんの演奏には、彼の人柄がにじみ出ていました。温かく、優しく、時に力強い。それは彼が真摯に音楽と向き合い、誰かの心に届けようとする姿勢の表れであったとも思います。
明石さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。そしてこれからも、彼の功績を忘れることなく、その精神を受け継いで音楽を楽しみ、未来に繋げていきましょう。
明石昌夫さん、たくさんの素晴らしい音楽を本当にありがとうございました。あなたの音は、永遠に私たちの中で鳴り響き続けます。