現在、日本では結婚後に夫婦が同姓を名乗ることが法律で定められています。ただし、近年では社会環境や働き方、個人の価値観の変化により、旧姓を職場や社会生活で引き続き使用したいという要望が高まっています。特に女性が職業上の実績や人間関係を維持するうえで、結婚前の旧姓の使用を希望する声が多くあります。
そうした中、2024年5月末、自民党の女性活躍推進議員らによるワーキングチーム(WT)が、結婚後も旧姓の使用を可能にする原案を取りまとめたことが報じられました。この原案は、夫婦同姓を法的に維持しながらも、旧姓の社会的な使用を広く認める方向性を打ち出した点で注目を集めています。
本記事では、その原案の概要と背景、そして今後の課題について分かりやすく解説し、日本社会における「夫婦の姓」をめぐる議論の現状をあらためて考えてみたいと思います。
旧姓の使用を可能にする自民党WT原案とは
自民党のワーキングチームがまとめた原案の要点は、「結婚により名字が変わったとしても、旧姓(旧氏)を公的な書類や場面で使用できる制度づくりを検討する」というものです。現時点では、結婚によってどちらか一方が相手の姓に改姓しなければならず、法的に旧姓は無効となりますが、実生活において旧姓を使い続ける「通称使用」は一部容認されてきました。
例えば官公庁や一部の企業では、職場で旧姓を名乗ることが認められています。しかし、住民票、運転免許証、各種資格証などへの正式な記載は原則として認められていません。このため、通称使用が認められている環境でも、公的な書類との不一致が生じるなど、さまざまな不便を強いられてきたのが現状です。
今回の自民党WTの原案では、こうした課題を改善するため、旧姓をオンライン上の行政手続きや住民票、保育園の申し込みなどの公的サービスでも使用できるようにし、社会生活との整合性を高める方向性が示されています。
背景にある社会の変化
このような制度改革の動きの背景には、現代社会における個人のライフスタイルの多様化があります。女性の社会進出が進む中で、結婚後も旧姓のままでキャリアを積みたいというニーズが以前にも増して高まっています。特に研究職や法律、医療、教育など、名前が個人の専門性や信頼性に直結する職種では、改姓によって過去の業績との連続性が断たれる懸念が大きいとされています。
また、現代の夫婦関係や家族のあり方が多様化する中で、夫婦が同姓でなければならないというルールに対して、選択の自由を求める声が社会全体で広がってきました。内閣府の世論調査においても、「選択的夫婦別姓制度の導入に賛成」という意見は年々増加傾向にあり、とくに若年層や都市部の住民からは強い支持が見られます。
原案に対する評価と課題
今回の原案は、夫婦別姓そのものを導入する段階には至っていませんが、旧姓の使用を制度的に支援しようとする試みとして一定の前進といえるでしょう。この動きに対しては、「夫婦同姓という伝統と調和を取りながら、現代の価値観にも対応するバランスの取れた方策」として評価する声もあります。
一方で、制度の導入が中途半端にとどまり、事実上は旧姓での生活を送ることができても、法的な姓の変更ができないという点で「根本的な解決にはならない」との指摘もあります。また、旧姓の使用範囲がどこまで拡充されるのか、行政手続きや民間の対応がどこまで整備されるのかといった、制度設計上の課題も少なくありません。
今後の見通し
今後、この原案が政府や法務省で具体的な制度設計に落とし込まれていくのか、また法改正という形にまで至るのかが注目されます。現段階では、自民党WTによる中間的な提案の位置づけですが、官民を巻き込んだ社会全体での議論を通じて、より実効性のある制度として発展していくことが期待されます。
また、旧姓使用の制度化が進行することで、「夫婦別姓」についての理解や議論もより深まる可能性があります。単なる表記の問題ではなく、「名前」という個人のアイデンティティと、結婚という社会制度との関係をどうとらえるかという本質的なテーマが今後問われてくることでしょう。
まとめ
旧姓の使用を可能とする方向性を示した自民党ワーキングチームの原案は、夫婦同姓の制度に一定の柔軟性を持たせる重要な一歩となり得ます。特に、女性を中心とした多くの人々が抱える実用的な不便を解消し、社会全体の働き方や価値観により深くフィットした制度を構築する上で、大いに前向きな動きと言えるでしょう。
ただし、この制度が実効性あるものとして定着するためには、法制度・行政手続き・社会通念の三位一体での改革が不可欠です。私たち一人ひとりが「姓」についての意味と意義を見つめ直し、より多様な生き方を認め合える社会の実現に向けて、理解と対話を深めていくことが求められています。
今後も引き続き、夫婦の姓や家族のかたちに関する制度改革から目が離せません。誰もが自分らしく生きられる社会をつくるために、このような議論がより一層活発に進むことが期待されます。