長年にわたり、日本の音楽シーンを支えてきた音楽プロデューサー・松任谷正隆氏が、55年にわたるラジオパーソナリティとしての活動に別れを告げた。「松任谷正隆のFMラジオ番組『松任谷正隆のラジオI Have a Dream』」(TOKYO FM系)が2024年6月30日の放送をもって、ついに幕を下ろす。このニュースは、長年ラジオを通して松任谷氏の柔らかな語り口や音楽への深い愛情に触れてきた多くのファンの心を揺さぶった。
松任谷正隆氏は1951年生まれ、東京都出身。大学在学中から音楽活動を始め、1972年には荒井由実(後の松任谷由実、愛称ユーミン)の初期の楽曲のアレンジを担当し、その非凡な音楽センスを一気に世間に知らしめた。彼の手掛けた楽曲は、その時代背景や日本特有の情感を見事に音楽に映し出し、当時の若者の心を掴んだ。
特に1980年代から2000年代にかけては、松任谷由実の楽曲プロデューサー兼編曲家として活躍。例えば「卒業写真」や「春よ、来い」といった名曲は、彼のアレンジが楽曲そのものの印象を決定づける要因となったといわれる。クラシックやジャズを思わせる繊細なコード進行と、ポップスの聴きやすさを融合させたその手法は、後に続くアーティストたちにも多大な影響を与えた。
そんな松任谷氏が、ラジオパーソナリティとして独自の存在感を示すようになったのは、1970年代からのことである。当初は音楽番組内でアーティスト目線のトークを展開していたが、やがて「松任谷正隆のラジオI Have a Dream」という冠番組を持ち、リスナーとの対話を重視するスタイルに移行していった。
「ラジオI Have a Dream」は単なる音楽番組ではなく、音楽に関する蘊蓄や裏話はもちろん、リスナーからの相談に真摯に向き合う姿勢が魅力だった。また、彼がこれまで出会ってきたアーティストたちとのエピソードや、音楽制作にまつわる秘話が頻繁に語られ、それ自体がまるで一篇のエッセイのようであった。
松任谷氏の語り口は穏やかでありながら、時折鋭い批評も交える知的なスタイル。そのトーンは、深夜の静けさや日曜日の朝によく似合い、聴く者にどこか安心感を与えた。彼の言葉に背中を押され、また癒やされたリスナーは数知れず、SNSには早くも「日曜の楽しみがなくなる」「今までありがとうございました」といった感謝や惜別の声が相次いでいる。
番組終了の理由について、松任谷氏は「体力的なこともあるし、新しい表現の形を考えたい」と語っており、決して後ろ向きではなく、むしろさらなる創作活動への意志に満ちたものである。その言葉には、年齢を重ねてもなお挑戦を恐れないアーティストとしての気骨が感じられる。
今回の番組終了に際して、松任谷由実氏との音楽的な歩みを改めて振り返る人も多いだろう。1976年に結婚した二人は、それ以降、私生活と音楽制作という二つの面で協力し合いながら、まさに“共作”とも呼べるような形で数々のヒット曲を生み出してきた。音楽ファンにとって、その関係性は単なる夫婦という以上に、創造のパートナー、感性をぶつけ合うライバルのようにも映っていた。
また、松任谷氏の長年の活動の中で特筆すべきは、若手アーティストへの支援と育成でもある。宇多田ヒカルや一青窈といった90年代・2000年代の代表的なシンガーたちに、直接的・間接的に影響を与えてきたプロデューサーとしての功績はあまりに大きい。業界の“目利き”としても知られ、流行に左右されない真摯な音楽選びは、いつしか「松任谷チルドレン」とも言うべき存在を多く生み出した。
ラジオという枠を超え、松任谷正隆という人物が発してきた音楽、言葉、思想——それらに共通しているのは、「人の心に長く残るものを届けたい」という一途な想いだ。現代のようにSNSや動画が主流になる中で、彼が最後まで大切にした「声の文化」には、今だからこそ再評価されるべき価値がある。
惜しむ声が後を絶たない中、松任谷氏は番組終了後も音楽活動を続ける意向を表明している。新たなプロジェクトやライブ、あるいは後進への指導など、今後の動向にも大いに注目が集まるだろう。そして、いつかまたラジオという舞台に戻ってくる日があるのなら、その時にはきっと、今よりさらに深く、豊かな人生の響きがその声に宿っているに違いない。
半世紀以上の時を経てひとつの区切りを迎えた「松任谷正隆のラジオI Have a Dream」。その旅は終わりではなく、次なる夢への新たな始まりなのかもしれない。
心からの感謝と、未来へのエールを込めて——ありがとう、松任谷正隆さん。