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命の重さに国境はない──4歳の命を救った日本人医師と市民の絆

命を救う闘いを、国の壁を越えて──

2024年4月、大手ポータルサイトに掲載された報道は、日本中に大きな衝撃と感動を与えた。一人の若者の命を救うために、国境を越えて助け合う人々の姿がそこにあった。

主人公は、カンボジアに住む4歳の男の子、オーン・ラシー君。彼は数カ月前から体調を崩し、現地の病院では「原因不明の腫れ」と診断された。その腫れは左足の膝から下全体に広がっていた。現地医師によると、悪性腫瘍の可能性もあるとのことで、すぐに専門的な治療が必要な状態だった。しかし、カンボジアには十分な医療設備がなく、治療のためには海外への移送が必要とされた。

その時、彼のために立ち上がった人物の一人が、日本人医師の西澤良彦氏だった。

西澤良彦医師は、現在大阪の「心臓血管外科・小児外科・内科」専門の病院で勤務しており、国際医療協力活動にも積極的に参加している医師だ。東京大学医学部を卒業後、日本国内での臨床経験を積んだ後、自らの医療技術を世界の医療格差に苦しむ子どもたちのために生かしたいという信念を持ち、アジアやアフリカなど多くの発展途上国で医療支援活動に従事してきた。西澤医師は、カンボジアでも何度も医療ボランティアとして現地を訪れており、現地医師との信頼関係も深い。

今回、現地の医師からの相談を受けた西澤医師は、すぐにラシー君の状態に危機感を抱いた。「悪性腫瘍だとすれば、一刻を争う。迅速な生検と治療が必要だ」と判断し、日本への緊急搬送を提案。しかし、海外から日本の病院に患者を受け入れることは通常簡単ではない。ビザの問題、医療費、搬送手段――数々のハードルが存在するからだ。

それでも諦めなかったのは、何よりも命の重さを大切に思う医師の信念、そして国際的な医療ネットワークの存在だった。

ラシー君を日本に搬送するためには約300万円もの費用が必要とされた。現地のNGOや日本の支援団体が協力し、クラウドファンディングがすぐに立ち上がった。SNS経由でその情報は広がり、多くの一般市民の「助けたい」という声が資金を動かした。支援金はわずか数日で目標額を超え、それによって専用の医療搬送機による日本への移送が実現した。

2024年3月、ラシー君は大阪の病院に到着。すぐに日本の専門医による生検が行われた。診断結果は「ユーイング肉腫」、小児がんの一種だった。非常に進行が早く、放っておけば生命の危険もあったという。しかし、早期に適切な治療がなされたことで、完治の望みもあると医師たちは判断した。

すぐに化学療法が始まり、ラシー君は日を追うごとに元気な笑顔を見せるようになった。言葉の壁があっても、看護師や病院スタッフの温かい笑顔や励ましが彼と家族を支えた。

また、西澤医師だけでなく多くの医療関係者が尽力した背景には、日本国内での「医療の国際化」に対する機運の高まりがある。2020年代、日本は少子高齢化に伴い、医療制度そのものの改革が求められる時期にある。また同時に、世界的な医療連携や人道的支援のあり方も見直されるようになってきた。

西澤医師は、「医療は国境を越えて機能するべきです。命に国籍は関係ありません。今回のようなケースが、世界中の子どもたちへ希望を届ける一歩になれば」と語っている。

ラシー君は現在、順調に治療を受けながら、日本で小さな日常を取り戻しつつある。家族も医療関係者もまだ安心はできないとしながらも、「ここまで来られただけでも奇跡」とその歩みに感動している。

この物語を通して、我々が学ぶべきことは多い。ひとつは、命の重さと医療へのアクセスが、住んでいる国や経済状況によって大きく異なってしまうという現実。そしてもうひとつは、その差を埋めるために動く人々——医師、支援団体、そして多くの無名の市民——の存在だ。

「私にできることなんて何もない」と思いがちなこの時代。しかし、SNSで発信すること、情報を届けること、ほんの少しの寄付——どんな小さな行動でも、大きな命への後押しになるとラシー君の事例は私たちに教えてくれる。

命に国境はない。

西澤医師のように、知識と技術を持って現場で命を救う人がいれば、それを支える市民の善意もある。日本という島国から発せられる優しさが、いま、ひとつの命に光を届けている。

ラシー君の未来はまだ続く。治療後、彼が再びカンボジアで元気に走り回る姿を夢見て、今日も日本のどこかで、彼を支える医療スタッフたちの手が動いている。

そして我々もまた、忘れてはならない。どこかで助けを求める命に、ほんの少し手を差し伸べることができることを。