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ありがとう、サブゥー ― ハードコアを人生に捧げた“沈黙の戦士”の魂

プロレス界の異端児、サブゥー氏死去 ー 革命的スタイルで世界を驚かせた男の軌跡

2024年6月、世界中のプロレスファンを驚かせたニュースが飛び込んできました。元プロレスラーのサブゥー(Sabu)氏が死去したという報道です。享年58歳。その突然の訃報に、プロレス界だけでなく、多くのスポーツファンが深い哀悼の意を示しています。

サブゥー氏といえば、90年代から2000年代にかけてアメリカ・日本を股にかけて活躍したレスラーであり、その独特なファイトスタイルと過激な試合内容は、多くのファンの記憶に鮮烈に刻まれています。日本のファンにとっても馴染み深い存在であり、FMW(フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング)やWING(ワールド・インディペンデント・ネットワーク・グループ)など日本の団体にもしばしば参戦。デスマッチの象徴的存在として、熱狂的な支持を集めました。

今回は、サブゥー氏のキャリアや彼が残した功績、そして世界のプロレスに与えた影響について振り返り、彼を偲びたいと思います。

伝説の始まり ー 本名テリー・ブランカ

サブゥー氏の本名はテリー・ブランカ(Terry Brunk)。1964年、アメリカ・ミシガン州に生まれました。プロレス一家に生まれた彼の師匠はなんと“ザ・シーク”ことエド・ファー(Ed Farhat)、アメリカ南部で大活躍したアラブ系レスラーで、サブゥー氏の叔父に当たります。ザ・シークは過激な流血戦や凶器攻撃で人気を博したレスラーであり、サブゥー氏はその影響を強く受けました。

キャリアは1985年にスタート。デビュー当初はアメリカのインディー団体で地道にキャリアを積み、その後カナダや日本など、海外の団体にも参戦。特に90年代に入り、FMWやWINGといった日本のデスマッチ団体に出演するようになり、“デスマッチレスラー”としての地位を確立していきます。

ECWで真価を発揮した“ハードコアの申し子”

サブゥー氏の名前が世界的に知られるようになったきっかけは、1993年にアメリカで旗揚げされたECW(エクストリーム・チャンピオンシップ・レスリング)への参戦です。ECWはそれまでのアメリカンプロレスとは一線を画し、自由なスタイルと過激な試合展開で一時代を築いた団体。その象徴となったレスラーの一人がサブゥー氏でした。

サブゥー氏のスタイルは、それまでのアメリカンレスリングにはほとんど存在しなかったものでした。イスラム風の衣装に身を包み、言葉をほとんど発しない“沈黙の戦士”というキャラクターを守り続け、試合中は空中殺法と凶器攻撃を組み合わせた斬新なスタイルで観客を魅了しました。

場外へのエプロンからのダイブ、テーブルや椅子を使った攻撃、天井すれすれの場外ムーンサルトなど、命知らずとも思えるその技の数々は、“命を削るプロレス”そのものでした。その姿は、当時のWWE(当時はWWF)やWCWとは明らかに異なる方向性を提示し、多くのプロレスファンに衝撃と興奮を与えました。

「恐れることなく、限界を超え続けた」 ー サブゥーという生き様

サブゥー氏の最大の特徴は、「恐怖」とは無縁のように見える身体の使い方とスタイルでした。傷だらけになりながらも一切表情を変えずに試合を続ける姿は、まさに“戦士”そのもの。彼にとってリングとは生きる場所であり、存在証明の場だったのでしょう。

ファンとの距離を詰めながら、決して自我や個性を見せないストイックなキャラクター作りは、日本のプロレスファンにも称賛されました。覆面レスラーに似たキャラクターですが、仮面ではなく沈黙によって神秘性を演出し続けたことは、プロレスにおける演出の幅を広げました。

キャリア後半、そしてWWEとの契約

2000年代に入ると、ECWがWWEに吸収される形で活動停止となりますが、サブゥーはその後もインディー団体や親交のある団体に精力的に参戦し続けました。2006年にはついにWWE(世界最大のプロレス団体)にも参戦を果たし、一部のファンには「やっと認められた」と評価されました。

しかし、彼の過激なスタイルはWWEのPG路線(過激な表現の抑制)とは相容れず、次第に出場試合は減少。以後は再びインディー団体で活躍し、2010年代に入ってからはやや活動をセーブしていました。それでもプロレス界での存在感は消えることなく、引退後もイベントやサイン会などでファンと交流を続けていたといいます。

死去の報にファン、レスラー仲間から続々と追悼メッセージ

サブゥー氏の訃報を受けて、SNS上には世界中のファンやプロレスラーたちからの追悼の声が溢れました。かつてECWで戦った仲間や、サブゥーに影響を受けた若手レスラーたちが、一斉にその死を悼むコメントを発表。特にミック・フォーリーやトミー・ドリーマーといった同時代の“ハードコアレジェンド”とも言うべき存在たちは、サブゥー氏との思い出を語りながら、その実直で誠実な人柄を讃えました。

日本のプロレスファンからも、「子どもの頃に見た命がけの試合を思い出す」「あの痛みと覚悟をリングで見せてくれた勇気に感謝」「ご冥福をお祈りします」といった声が寄せられています。彼の試合に感動し、そして彼に影響を受けた者たちの胸には、サブゥー氏のスピリットが今も確かに息づいています。

サブゥー氏が残した“自由闊達なプロレス”の精神

彼のキャリアは、プロレスとは何か?という問いに対する一つの答えだったのかもしれません。ルールや形式にとらわれず、自らの信じたスタイルで戦い抜く姿――。それはまさに、「自由闊達なプロレス」の象徴であり、彼の試合には常に“生き方”が滲んでいたように感じます。

ファンの記憶に残るのは、技の正確さではなく、その覚悟と根性、そして生き様。それこそがサブゥー氏がプロレス界に残した最大の遺産だと言えるのではないでしょうか。

彼が残した熱狂と美しさ、そして狂気にも似た闘志は、時が経っても決して色あせることはないでしょう。彼の試合を一度でも見たことがある人であれば、その凄さと迫力は忘れがたいものになるはずです。

最後に

サブゥー氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。その命がけの闘い、そしてプロレスに対する揺るがぬ愛情と覚悟に、最大限の敬意と感謝を込めて。

ありがとう、サブゥー。あなたは、永遠の主役です。