三重県桑名市多度町で毎年行われている「上げ馬神事」(あげうましんじ)――日本伝統の勇壮な春の祭りの一幕は、その独特な儀式から多くの関心を集めています。この神事は「多度大社」の例祭の中でも特に注目されており、若者が馬を駆って急傾斜の坂を駆け上がる様子に、多くの観客が熱い視線を送ります。しかし、近年は動物愛護の観点から、馬への虐待ではないかという批判の声が高まっており、それに対する主催者側の対応が大きな話題となっています。
この記事では「上げ馬神事」の由来や背景、批判の内容、そしてそれを受けて2024年に実施された新たな対策について詳しくご紹介します。
伝統と誇りが宿る「上げ馬神事」とは
「上げ馬神事」は、三重県桑名市の多度大社で毎年5月4日と5日の両日にかけて行われます。この神事は、鎌倉時代から続くとされており、地元の若衆(わかしゅう)たちが馬にまたがり、高さ約2メートル、傾斜約34度の土壁を一気に駆け登るというものです。
この坂を駆け上がれるかどうかによって、その年の農作物の豊作が占われるという信仰があり、地元にとっても重要な意味を持っています。また、見事に馬とともに坂を駆け上がる姿は観客にとって大きな感動を呼び、長年親しまれてきた祭りとして、日本の伝統文化の一端を担っています。
一方で、馬はこの急傾斜を全力で駆け上がる必要があり、失敗すれば勢いのまま坂を転げ落ちるケースもあります。その際には馬や騎乗する若者が負傷することもありました。そうした背景もあり、神事に使用される馬への負荷や安全性について関心が集まってきました。
動物愛護団体からの批判と社会的な議論の高まり
伝統的行事としての価値は高く評価されてきた一方で、近年では民間の団体や市民から、「馬に過度な負担を強いる危険な行事なのではないか」という声が多数あがるようになりました。特に、馬の転倒や負傷などの画像や映像がSNSなどを通じて拡散されるようになると、その是非を問う議論が全国レベルで巻き起こりました。
これらの批判に対し、伝統を守るべき立場の地元関係者や馬主などからは、「それぞれの役割に誇りを持って神事に関わってきた」「馬を丁寧に飼育し、本番でも最大限のケアをしている」など、慎重ながらも肯定的な意見も出されています。
また、「伝統行事」としての継続と「動物愛護」という価値観のバランスをいかにとるかというテーマは、多くの地域の祭りに共通する課題でもあります。
2024年の新たな取り組みとは?
こうした議論を受け、2024年の「上げ馬神事」では、これまでにない新たな対策が講じられました。主催する多度大社および地元実行委員会は、動物愛護の観点を踏まえ、以下のような取り組みを発表・実施しました。
1. 斜面の改修
駆け上がる斜面の一部を安定させるため、足場を固め、可能な範囲で勾配を調整。これにより、馬と騎手の転倒リスクを軽減するとともに、より安全な進行が実現されました。
2. 馬の事前検査と健康管理体制の強化
獣医師による健康チェックを徹底し、本番前後における馬の体調管理、乗馬経験者による随時のアドバイスを受けながら慎重な運営が行われました。馬の疲労やストレスを最小限に抑えるための配慮が見られた点は、非常に前向きな進展です。
3. 転倒時の救護体制整備
過去に問題とされてきた転倒後の馬の救護体制についても、即時に対応できるよう動物看護師およびスタッフを常駐させる対応を取りました。また、坂下や周辺にはクッション材を増設するなど、転倒時のダメージ軽減策も施されました。
地域と伝統を守りながら、思いやりある文化へ
上げ馬神事における今回の改善策は、「伝統を守るために変化を拒む」のではなく、「伝統を継続させるために柔軟に変化を取り入れる」姿勢の表れです。人々の価値観や社会の要請が変化する中で、文化もまたその影響を適切に取り入れる必要があるのかもしれません。
神社や地元関係者にとって、この神事は単なる年中行事ではなく、精神的・歴史的な意味を持つ大切な営みです。そこに、動物や観覧者への配慮が加わることで、より多くの人々に理解される祭りへと生まれ変わる可能性が広がります。
実際、2024年の神事では、動物愛護団体の関係者の一部から「改善姿勢が見られたことは評価に値する」との声も上がりました。完全な合意には至らずとも、対話への糸口が見えたことは、今後の祭り継続にとって大きな一歩といえるでしょう。
未来へ繋げる地域文化のかたち
現代社会において、文化や伝統は決して「そのまま残すべきもの」ではなく、「どのように残していくか」が問われる時代になっています。その中で、上げ馬神事における新たな試みは、他の地域祭事や神事にも影響を与える可能性を秘めています。
祭りの意義や役割が変わってきている今、地元が築き上げてきた誇りや歴史を大事にしながらも、現代の感覚や倫理に寄り添うこと。それによってこそ、多くの人たちが安心して、また新たな視点で伝統文化に関わっていくことができるのではないでしょうか。
最後に――私たち一人ひとりが、文化を見守る目を持ち、必要な声を届け、そして変化を共に支えていく。そのような社会こそが、日本の伝統をより豊かに、確かなものとして次世代に伝えていけるのだと感じます。
多度町の取り組みが、他の地域にも広がり、「思いやりある伝統文化」の実践に繋がることを願ってやみません。