妊産婦の命を守るために:見過ごせない「産前産後うつ」と社会の支え
妊娠や出産は、多くの人にとって人生の中でも特別でかけがえのない出来事です。新たな命の誕生に喜びを感じる一方で、心や体に大きな変化が起こるこの時期には、女性本人やその家族が思っている以上の負担やプレッシャーがかかることがあります。最近の報道によれば、日本で過去3年間に妊娠中または出産から1年以内の女性162人が自ら命を絶っていたことが分かりました。
この数字は、私たち社会全体が見過ごしてはならない現実を突きつけています。この記事では、産前産後の母親たちが直面する精神的な問題や、必要とされる支援体制について丁寧に掘り下げ、考えてみたいと思います。
妊産婦のこころに起こる変化:産前産後うつとは
出産は身体的な大仕事であると同時に、大きな精神的変化を伴うプロセスです。「産後うつ」という言葉は広く知られるようになりましたが、実際には妊娠中からうつ症状が現れる「産前うつ」も存在し、産後うつと合わせて「周産期うつ」とも呼ばれています。ホルモンバランスの急激な変化や、不安・期待・責任感などの複雑な感情が交錯する中で、心のバランスを崩してしまう妊産婦は少なくありません。
国立成育医療研究センターが行った調査によると、今回明らかになった自死は年間およそ50人前後というペースで発生しており、その多くが心の病と関連していたと見られます。特に、家庭内暴力(DV)や経済的困窮、人間関係の孤立といった要因も自死に密接な関係を持っていました。
なぜ妊産婦は追い詰められるのか?
妊娠や出産をきっかけに、女性の生活環境は大きく変わります。それまで働いていた職場を離れ、社会とのつながりが希薄になることもあります。加えて、赤ちゃんの育児に伴う睡眠不足や身体的な疲れ、思い通りにいかない育児への焦りが積み重なることで、表には出しにくい孤独や絶望感を抱えるようになります。
また、「母親ならきちんと育てて当然」「赤ちゃんがかわいくて仕方ないはず」といった無意識の思い込みや社会的なプレッシャーが、母親自身の心を追い詰めてしまうケースもあります。さらに、相談したくても誰に頼ればいいのか分からない、助けを求めたら「母親失格」のように思われてしまうのではないかという不安から、心の不調を誰にも打ち明けられない人は少なくないのです。
支援体制は既にあるが、届いていない現実
日本国内では、妊婦健診の段階からメンタルヘルスの確認を行う体制づくりが進められています。地方自治体によっては、保健師や助産師などによる訪問支援や、母子手帳アプリなどを活用した情報発信を行っているところもあります。
しかし、これまでの支援体制には「網の目を掻い潜る」ように届かない現実があるのも事実です。たとえば、経済的に困窮していたり、家庭やパートナーからの支援がない場合、相談窓口に足を運ぶこと自体が困難な場合もあります。また、自治体によって支援内容や実施状況にかなりの差があるため、本当に支援を必要としている人に届かない仕組みになってしまっていることも指摘されています。
今回の調査を行った成育医療研究センターでは、妊娠中から出産後まで一貫した支援が必要だと警鐘を鳴らしており、国としての包括的な支援体制の整備を一層急ぐべきだとしています。
社会全体で支えるという意識の必要性
この問題を解決するためには、単に行政の取り組みに頼るだけでは不十分です。家族や職場、地域、友人といった身近な存在のサポートも非常に重要です。母親たちが自分の体調や気持ちを周囲に素直に伝えられる雰囲気を作り、正直な気持ちを受け入れてもらえる環境づくりが求められています。
また、男性の育児休業取得率や職場の理解が進まなければ、母親に育児や家事の負担が集中しやすくなります。本当の意味で「子どもを育てやすい社会」であるためには、パートナーシップの在り方や、子育てと仕事を両立できる就労環境整備も不可欠です。
私たち一人ひとりができる支援
このテーマに対して「自分には関係のない話」と感じる方もいるかもしれません。しかし、妊産婦の自死は、社会全体としての支えの不足からくる複合的な問題の象徴です。家庭の中で、身近な友人や同僚の中で、自分自身が少し気にかけることで救える命があるかもしれません。
たとえば、妊娠中や育児中の知人に声をかけ、話を聞いてあげるだけでも心の支えになることがあります。また、SNSやメディアで発信される情報に無意識に流されず、多様なケースに思いを巡らせる想像力も大切です。そして万が一、気になる様子の人がいた場合には、躊躇せずに専門機関や支援窓口を紹介する、あるいは一緒に同行するという姿勢も重要です。
これからの課題と希望
このような調査結果が公表されたことで、一人でも多くの人がこの問題に関心を持ち、「どうしたら妊産婦が安心して妊娠・出産・育児ができる社会になるのか」を考えるきっかけとなることを願っています。行政、医療、地域、企業、家族、そして私たち一人ひとりが、それぞれの立場で少しずつできることを積み重ねていけば、大きな変化につながっていくでしょう。
妊娠や出産は本来、希望と未来につながる出来事です。すべての母親が「一人ではない」と思える社会、悩みや辛さを素直に打ち明けることができる環境、そして命が安心して育まれる暮らしをつくっていくことが、私たちが取り組むべき社会のあり方ではないでしょうか。
これ以上、悲しい選択をする人が生まれないように。妊産婦の“こころ”を社会全体で守るために、今こそ行動する時です。