近年、スポーツ界においては競技そのものの価値や選手のパフォーマンスに注目が集まる一方で、アスリートたちが競技以外の面で、不本意な形で注目されるケースも増えつつあります。特に女性アスリートが直面する「望まぬ撮影」や「性的消費」という問題は、尊厳や人権を脅かす深刻な社会課題です。この記事では、選手たちが抱える現実と、私たち一人ひとりが向き合うべき課題について考えてみたいと思います。
■ スポーツと表現の自由、その狭間で
スポーツは人間の身体能力の極限を示すものであり、美しさや迫力、躍動感は多くの人々を魅了します。そのため、試合の合間に撮られる写真やビデオは、貴重な記録資料として重要な役割を果たしてきました。しかし、こうした報道や記録とは異なる目的で、特定のアングルから狙われたり、性的に注目される意図をもって撮影されたりするケースが存在しています。
特に近年は、スマートフォンやデジタルカメラの普及によって誰もが気軽に撮影できるようになり、無断での撮影やネットへの拡散といった問題が加速しています。意図していない場面や姿を勝手に撮影され、それが性の対象として扱われてしまう現実は、選手本人にとって非常に大きな精神的負担になります。
■ 「性的消費」とは何か
「性的消費」とは、ある人物をその人の意思に反して性的な対象として消費することであり、しばしば性的搾取とも関連づけられます。女性アスリートの場合、ユニフォームのデザインや競技中の姿をもとに、性的な目線で見られてしまうことがあります。これ自体が問題というよりも、「そのように見ること」「それを目的に観戦・撮影すること」が本質的な問題なのです。
アスリートたちは、競技に打ち込む真摯な姿勢によってファンの尊敬や注目を浴びることを目指しています。しかし、「ある特定の部位ばかりを切り取った写真」や「性的なコメント付きでSNSに拡散される動画」など、そうした人間性や努力を無視し、身体の一部だけを切り取って消費する行為は、選手の尊厳を傷つけるものです。
■ 選手たちの声
記事では、実際に不本意な撮影やネット上での拡散に苦しんだ女性アスリートの声が紹介されています。「応援してくれるファンとの違いは、こちらにリスペクトがあるかどうか」というある選手の言葉には、多くのことが集約されています。
選手たちは、自らの競技人生をかけて試合に臨んでいます。その姿を純粋に応援し、リスペクトを持って目にしているファンと、性的な目線で見たり、写真を「ネタ」のように扱ったりする人とでは、根本的な姿勢が異なります。応援と消費は似て非なるものであり、それを選手自身が見抜き、感じ取っているということを私たちは理解しなければなりません。
また、反射的にSNS上で「面白ネタ」として共有する行為も、個人の尊厳を踏みにじる結果になることがあります。ある選手は「競技後に検索すると、自分の名前とともに性的なキーワードが並んで出てくる。それを見て笑って済ませられるわけがない」と語っています。こうしたリアルな声は、私たちがインターネット上で行う何気ない行動の裏に、どれほどの影響があるかを改めて考えさせられます。
■ なぜ社会全体の課題なのか
「望まぬ撮影」による性的消費は、決して女性アスリートだけの問題ではありません。これは、社会が無意識に持っているジェンダー観や、他者の身体に対する認識、インターネット時代の倫理観が複合的に重なりあって生じる問題です。つまり、アスリートの周囲の環境は、私たちひとりひとりの視線や行動に支えられており、また大きく左右されています。
スポーツは本来、性別にかかわらずすべての人の人間的な努力とパフォーマンスを尊重するもののはずです。それを「見る側」の意識や行動ひとつで、選手の尊厳が傷つけられてしまう。それは非常に悲しい現実であり、私たちはそれを許してはなりません。
また、法的な整備や競技団体によるガイドライン作成も求められていますが、最も大切なのは社会全体の意識向上です。何が「応援」で、何が「消費」なのか。その境界を正しく認識し、リスペクトの気持ちを持って他者を見つめる。それができるかどうかが問われているのです。
■ 私たちにできること
まず第一に、「見る側」としての自分の意識を見直すことが大切です。誰かを応援するつもりで見ていたとしても、もしそれが相手の心を傷つけていたとしたら、それは応援ではありません。SNSでのリポストや、他人の撮影した画像への反応一つとっても、それが選手にどう映るのかを考える必要があります。
また、無断撮影や性的な視線によるコンテンツの拡散を見かけた際には、その場に加担せず、むしろ声を上げて問題提起することが大切です。沈黙は黙認につながり、結果として問題を長引かせてしまうからです。
そして、スポーツを心から楽しむ姿勢、選手の努力にリスペクトを持つ気持ちを、次の世代にも伝えることが求められています。子どもたちや若者たちが「スポーツってすごいな」「アスリートってかっこいいな」と、素直に感じられる社会を作ること。それは私たち一人一人の手にかかっています。
■ 終わりに
望まぬ撮影や性的消費は、インターネット時代における新たな社会課題の一つです。これは特定の誰かだけが担うべき問題ではありません。選手の尊厳、ひいては人間の尊厳を守るために、スポーツを愛するすべての人々が、相手へのリスペクトを忘れずに関わっていくことが必要です。
私たちが「見る側」としてどうあるべきか。その問いに、誠実に向き合うことこそが、美しいスポーツ文化を支える第一歩となるのではないでしょうか。