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「市長が倒れる日──“休み1日”が浮かび上がらせた地方行政の限界」

2024年6月、全国に衝撃を与えたニュースが報じられました。「倒れた市長 6月の休みは1日だけ」――こうしたタイトルからも伝わるように、日本のある自治体の市長が過酷なスケジュールの中で体調を崩し、倒れてしまったという出来事が明らかになりました。このニュースは多くの人々の共感や驚きを呼び、その背景には公職にある人々の働き方や、地方行政の現状といった社会課題が浮き彫りとなっています。

この記事では、このニュースを通して見えてきた現代日本の自治体運営の過酷さ、公務員の働き方、そして仕事と健康のバランスについて考えていきたいと思います。

■ 倒れたのは岐阜県高山市の市長・國島芳明氏

今回のニュースの中心となったのは、岐阜県高山市の市長である國島芳明(くにしま・よしあき)氏。國島市長は現在68歳で、2004年の市町村合併を経て誕生した新・高山市の初代市長として長年、地域発展に尽力してきた人物です。まさに「地方自治の顔」と言える存在であり、多くの支持を得てこれまでの市政を担ってきました。

ところが2024年6月、市役所で会議中に体調を崩し、そのまま入院となったという報道が流れました。診断の結果、「過労」が原因であり、休職を余儀なくされる事態に。6月の休日がたった1日という働き方は、もはや異常としか言いようがありません。

■ 市長の仕事とは?驚くべき1カ月のスケジュール

市長とは、行政の現場において最高責任者であり、市政の舵取りを担う要職です。日々の公務の多さは想像以上であり、市民からの要望への対応、議会への出席、市政運営に関する会議、地元行事や公式イベントへの参加など、その業務の幅は非常に広く、多忙を極めます。

報道によると、國島市長の2024年6月のスケジュールは公務だけで41件。日によっては朝8時前から深夜近くまで動く日もあり、移動を含めた活動時間は膨大なものでした。出張や会合が連日続く中で、休養や自由な時間を確保するのは困難であり、事実上、プライベートの時間がほとんどなかったとも言われています。

また、そのスケジュールの中身を見ると、市民との意見交換会や学校訪問、地域のイベント参加など、直接的な市民サービスに関与する業務が多く、「自分の目で確かめたい」「市民と直接対話したい」という國島市長の信念と責任感の強さが伺えます。しかし、その真面目な姿勢が裏目に出て、過労という深刻な形で健康を損なってしまいました。

■ 地方自治体を取り巻く現実

今回の件は、國島市長個人の健康問題にとどまらず、地方自治体における人員体制や業務配分の問題ともつながります。特に人口減少や財政圧迫が続く地方では、人手不足の状態が慢性化している自治体も珍しくありません。その中で市長自身が「なんでもこなさねばならない」状況に追い込まれ、結果的に公務が過密化してしまうのです。

また、市民からの期待や信頼が厚ければ厚いほど、市長個人への負担は大きくなります。「市長が来賓として出席しないと角が立つ」「市長に直接対応してもらいたい」などの要望も多く、調整が困難になっていきます。こうした構造的な問題は、國島市長に限った話ではなく、全国の自治体に共通する課題とも言えるでしょう。

■ 働きすぎは自己責任ではない

「公務員は休めない」「トップは忙しいのが当たり前」――こうした風潮や固定観念も、根深く社会に残っています。しかし、働きすぎは決して自己責任ではありません。今回のように明確な過労によって健康を害し、人間としての生活がままならなくなるケースは、本来なら積極的に予防されるべき問題です。

働く誰しもが、「働きすぎない仕組み」の中でバランスを取りながら生活することが理想です。これは民間企業でも当然のように語られる価値観であり、公務の世界でも例外ではありません。むしろ、市長のような影響力の大きなポジションにこそ、適切な休養や業務分散の仕組みが必要です。

今回の件を受けて、高山市では副市長による代行体制が敷かれましたが、過去には「副市長の数が多すぎる」といった声もあったとのこと。しかし、國島市長の「病気をして始めて、副市長がいて本当によかったと思った」という言葉に象徴されるように、適切な人員配置は健康だけでなく、危機管理の視点からも極めて重要です。

■ 仕事と健康、そして持続可能な行政へ

國島市長が回復されることを願うのはもちろんですが、これを一つの転機として、自治体の働き方全体を見直すきっかけにする必要があります。行政の持続可能性は、制度や財政面だけでなく、「人の健康」とも密接につながっています。

市民からの信頼への応答も大切ですが、それを支える人の体もまた、「資源」と言えます。リーダーを含めたすべての公務員が安心して働ける体制づくりは、市民生活の安定にもつながります。

また一般市民の立場でも、「市長が来なくても、市政は進む」という柔軟な考え方や、「自分たちの代表も限界がある」という理解を持つことも、持続可能な地域づくりの起点になります。特定の人物に過度な負荷がかからない社会へ――今、私たちはその入り口に立っているのかもしれません。

■ おわりに

「倒れた市長 6月の休みは1日だけ」というニュースは、私たちに多くのことを投げかけてくれました。國島市長の献身的な姿勢に敬意を表しつつも、行政や組織の在り方、そして社会全体の「働き方」への向き合い方を再考する必要があります。

誰か一人の健康や命に、組織全体の成否が左右されるような構造は、本来あってはならないものです。働くすべての人が適切に休み、リフレッシュし、再び全力で取り組める――そんな社会を、私たち一人ひとりが目指していけたらと願います。