「病院で取り違え『親』さがし20年」 ー 取り違え事故がもたらした20年の苦悩と再生の物語
私たちが日常的に享受している家族の温かさや血縁のつながり。それは、あまりに当たり前で深く意識することの少ない、大切な絆です。しかし、もし自分が長年親と信じていた人が、実は「他人」で、知らぬ間に本当の家族と引き裂かれていたとしたら—あなたならどう受け止めますか。
2024年2月、読売新聞が報じた「病院で取り違えられた男性」が、自身の家系をたどり、本当の親を見つけるまでの20年をつづった一冊の記録が注目を集めています。この取り違え事故は、1970年代に東京都内の病院で起きたもので、生まれて間もない赤ん坊たちが誤って別の家族に引き渡されてしまったという重大な医療過誤です。
この記事では、その取り違えられた当事者である男性、森下直樹さん(仮名)の20年におよぶ「親さがし」に焦点を当て、事故の深い影響と社会的背景、そして私たちが学ぶべき教訓について考えてみたいと思います。
生後間もないすれ違い —— 本来出会うはずだった家族とすれ違う
森下さんは1971年、東京都内の病院で出生しました。しかし、病院の人為的なミスにより、別の家族に引き渡され、そのまま長年育てられることになります。もちろん、森下さんの育ての親は何の疑いもなく愛情を注いで育ててくれました。しかし、大人になるにつれ、自分の外見が「家族とあまりにも違う」といった違和感を抱き始めます。
やがて、たまたま受けた血液型の検査をきっかけに、血縁上の矛盾を感じるようになり、「もしかして、自分は本当の家族と離れて育ったのではないか」という疑念を抱きます。遺伝子検査の導入や普及が進んだ2000年代後半以降、森下さんは自らDNA鑑定を受け、育ての親とは遺伝的に関係がないことが明らかになります。
そこから始まったのが、「自分の本当の両親は誰なのか」という長い旅でした。
戸籍、病院記録、写真、古いメモ —— 20年の追跡
森下さんの親探しの旅は、まさに血と汗のにじむ取り組みでした。はじめは病院に問い合わせをしますが、記録はすでに廃棄されていたり、詳細が不明確であったりと、探索の手がかりは多くありませんでした。彼は自らの名字や顔立ちと似ていると思われる家系を調べ、東京周辺の複数の家庭に接触を試みます。
戸籍の追跡、旧職員への聞き取り、当時の病院の勤務体制に関する文献調査、さらには自身と同時期に出生した子どもの情報を徹底的に調査しました。探偵のような地道な情報収集を20年近く続ける中、少しずつ真実に近づいていきます。
そしてついに、彼と取り違えられた男性が福岡県で暮らしていることが判明。本当の家族との再会が実現します。
「家族が2つある」という現実 ー どちらも嘘ではなかった
再会の瞬間は当然のことながら感動的であると同時に、非常に複雑な感情が交錯するものでした。育ての親は決して自分を騙していたわけではなく、彼に惜しみない愛情を注いできた存在です。一方で、血を分けた実の親ともようやく対面し、自分の身体的特徴や性格が「なるほど」と腑に落ちる感覚さえあったといいます。
森下さん自身、「2つの家族を否定するものではなく、自分は2つの人生を生きる権利を手にしたのだと思うようにしている」と語っています。自分のルーツを知ることはアイデンティティの形成に大きく影響しますが、それが同時に過去との折り合いを求める試練でもあるのです。
法律と医療現場の課題 —— 二度と繰り返させないために
このような出生時の取り違え事故は、日本国内でも過去に複数回報道されています。いずれも人的なミスや管理の甘さが原因であり、病院の運営体制が問われる深刻な問題です。
一方で、医療ミスへの責任問題、それにより人生が大きく変わってしまった当事者の補償、心理的なケアの提供など、取り違え事故にともなう課題は決して少なくありません。日本の医療現場では現在、患者の識別システムの精密化や人為的ミスの防止策が強化されており、このような事例の再発は極めてまれになりつつありますが、それでもゼロではありません。
法律家の間では、病院側の説明義務や損害賠償の枠組みの見直し、被害者の心のケア体制の確保が重要課題とされており、また社会全体としても関心を持つべきテーマです。
記録を書き記すということ —— 「自分が何者か」を知るために
森下さんは今回、自らの経験をまとめた著書を出版しました。その中で語られるのは、単なる家族との対面や探索の記録だけではありません。「失われた20年以上の時間」とは一体何だったのか、自分が誰なのかを知ることにかけた情熱の軌跡です。
書籍には、同じような境遇にある人や、自らの家系に疑問を持っている人に向けたメッセージも込められています。「戸籍も病院記録も頼れない時代があった。だからこそ、記憶、つながり、手紙——すべてが貴重だった」と語る森下さんの言葉は、誰にとっても深く響くものがあるのではないでしょうか。
終わりに —— 血か、育みか、それともその両方か
家族とは何か。血のつながりだけで決まるものなのか。それとも、愛情や時間の積み重ねで形づくられるものなのか。
今回の事件は、単なる医療事故として片付けられない、人間関係とアイデンティティの根源に関わる問題を提起しています。そして、このような現実が過去にあったことを私たちが知ることこそ、今後の事故防止や社会的議論を進めるうえで重要な一歩となるはずです。
最後に、森下さんが記した言葉を紹介します。
「人生は、自分で選べないことの連続です。しかし、その中で『自分』を取り戻すことは、他の誰でもない、私自身にしかできないことだった。」
この言葉が、多くの人に光を灯すことを願ってやみません。