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ありがとう、タンタン──日中をつないだパンダが遺した絆と未来

2024年5月29日、長年にわたり兵庫県神戸市立王子動物園で多くの来園者から愛されてきたジャイアントパンダ「タンタン(旦旦)」の剥製が、中国・四川省にある中国ジャイアントパンダ保護研究センターに無事到着したというニュースが報じられました。タンタンが日本と中国の友好の象徴として果たしてきた役割を振り返るとともに、今回の剥製の中国移送が持つ意味に注目が集まっています。

本記事では、タンタンのこれまでの歩みや日中友好の一端を担ったその存在、そして今後の展望について詳しくご紹介します。

■ 神戸で過ごしたタンタンとの日々

タンタンは2000年7月、中国から神戸市へ貸与という形でやってきました。当時4歳だったタンタンは、王子動物園で飼育されることとなり、日本国内で見ることができる数少ないジャイアントパンダとして、20年以上にわたり多くの人々に親しまれてきました。

タンタンの特徴は、優雅なおっとりとした性格と、あどけない表情から感じられる愛嬌です。子どもから高齢者まで幅広い年代の人々に愛され、「タンタンスマイル」とも呼ばれるその姿は、来園者だけでなくスタッフの心にも深く刻まれました。

タンタンは繁殖目的で来日したこともありましたが、残念ながら繁殖は叶うことなく年月が過ぎました。しかし、タンタンの存在そのものが大きな癒しであったことに変わりはありません。特に2005年以降、国内で見られるジャイアントパンダが限られる中で、近畿地方に住む人々にとっては、身近にパンダを見られる数少ない貴重な場所として、王子動物園が存在していました。

■ 高齢による帰国延期と別れ

タンタンは年齢を重ねるにつれ、徐々に体力が衰え、健康状態への配慮が必要となっていきました。ジャイアントパンダの平均寿命は野生で20年ほど、飼育下でも30年前後とされていますが、タンタンも2020年時点で24歳を迎え、高齢個体となっていました。

この頃から、借用期間が終了し帰国が検討されていましたが、健康面に配慮して中国への移送は延期されました。動物園側も、「移動によるストレスや健康への影響を考慮した結果」として、その判断を慎重に重ねてきました。

その後も万全の看護が行われていましたが、2023年3月、タンタンは永眠。多くの人々に惜しまれながらその生涯を終えました。タンタンの死を悼み、園内には多くの献花が寄せられ、その優しい姿をしのぶ来園者の姿が絶えませんでした。

■ 剥製として残された「学び」の場

タンタンの死去後、神戸市と中国側との協議の中で、彼女の遺体を剥製として保存する方針が決まりました。この背景には、タンタンの生涯を通じて学べる教育的価値、そして将来の研究資源としての意義が評価されたためです。

ジャイアントパンダの剥製は、学術的にも非常に貴重な存在であり、体の構造や生態を理解するうえで重要な資料です。加えて、人々がパンダの存在やその保護の必要性について体感的に理解するための教育資源としても役立ちます。

剥製製作には繊細な技術が求められます。自然な姿勢や毛並みを再現するだけでなく、タンタン独自の表情や個性まで表現することが目指されました。完成した剥製は、彼女が生前を過ごした神戸の人々に一度も公開されることなく、最終的に母国・中国のジャイアントパンダ保護研究センターへと送られることとなりました。

■ 中国・四川省へと運ばれた剥製の意味

今回、タンタンの剥製が運ばれたのは中国四川省雅安市碧峰峡(へきほうきょう)にある中国ジャイアントパンダ保護研究センター。四川省はジャイアントパンダの原産地であり、保護・研究の最前線といえる場所です。

ここで、タンタンの剥製は他の保護活動や学術教育に活かされるだけでなく、多くの人々にパンダ愛護への意識を喚起する展示物となる予定です。また、タンタンが20年以上日本で過ごしてきた友好の証として、日中の民間交流や環境保護意識の架け橋となることが期待されています。

研究センター側も、タンタンが過ごした日本での様子や愛されていた記録を丁寧に収集しており、剥製を通じて来園者に日本と中国の国際的な交流を伝えることを目的としています。

■ パンダがつなぐ、国境を越えた絆

ジャイアントパンダは、その愛らしさから「動物の外交官」とも呼ばれることがあるように、国と国との交流の象徴的な存在であることは言うまでもありません。今回のタンタン剥製の帰国は、珍しい事例であると同時に、パンダという生き物が国境を越えて愛され、尊重されているからこそ実現した出来事です。

神戸でタンタンを愛した人たちの心の中には、今も彼女の思い出が生き続けています。そして今回、中国の大地にその姿が戻ったことで、タンタンの生きた証が国際社会の宝の一部となりました。

■ 最後に――タンタン、ありがとう

タンタンの剥製が中国へと運ばれたという知らせに、寂しさを感じる方も少なくないでしょう。しかしながら、タンタンの存在がこれから先も学びや気づきの場として多くの人に影響を与え続けることは、彼女が生きてきた価値の証とも言えます。

生前のタンタンは、何も語らずともその瞳からやさしさと穏やかさを伝えてくれました。子どもたちが彼女に笑顔を向け、大人たちが目を細めて写真を撮る――そのすべてが一つの思い出として、今も多くの人の心に息づいています。

遠く離れた土地にその姿を移した今も、私たちの心の中には、変わらない「ありがとう」の思いだけが残ります。愛と敬意をこめて――タンタン、本当にありがとう。