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「父が選んだ“生”の道──沖縄戦『集団自決』を越えてつながれた命の証言」

かけがえのない命をつなぐ選択──沖縄戦「集団自決」、父の決断で生きた子の証言

太平洋戦争末期の沖縄戦──それは日本国内で唯一、住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられ、多くの民間人が命を落とした壮絶な戦いでした。その中でも、とりわけ深い傷として今なお多くの人々の記憶と心に残るのが「集団自決(強制集団死)」です。家族や地域の人々が終戦間近に追い詰められ、「自ら命を絶つ」ことを選ばされたその出来事は、戦争が人間の理性や命の尊厳をいかに奪っていくかを如実に物語っています。

2024年6月23日、慰霊の日に合わせて報道された記事「沖縄集団自決 父の決断で生きた子」には、あの激動の中で父のひとつの決断によって生き延びた一人の男性が登場しています。彼が語る体験は、決して過去のものではなく、今を生きる私たちに「命の大切さ」と「平和の尊さ」を改めて考えさせる機会となります。

命の選択:父の決断がすべてを変えた

証言者である當眞康明(とうま・やすあき)さんは、1945年の沖縄戦当時まだ3歳でした。住んでいた沖縄本島北部の阿嘉島では、島民が洞窟などに避難しながら、米軍の攻撃を必死に逃れていました。

その極限状態の中で「集団自決」が起きます。日本軍の指導や、戦争に対する恐怖、占領されることへの絶望、さらには軍から手榴弾が配られる事例もあり、逃げ場を失った住民たちは「死を選ぶ」ことを余儀なくされました。多くの家族が命を絶つ最中、當眞さんの父親・當眞光彦さんは決断を下します。「死んではいかん」「生きてこそ」――その一念で家族5人を引き連れ、集団自決の場から離れました。

當眞さんは、父のこの決断によって命を繋ぎました。そしてその“選ばれた命”が、彼の一生を通して生きる意味を問いかけ続けてきたと語ります。父の「生きる」選択がなければ、今の自分は存在しなかった。そして何よりも、自分を包み込んだ家族のやさしさも、後に育んだ家族との温かい時間も存在しなかったのです。

戦争の影、心に残る記憶

当時3歳の當眞さんにとって、戦争の光景は断片的な記憶として心に残っています。爆発音、洞窟の闇、周囲の大人たちが泣き叫ぶ声……幼い彼にとって、それは“当たり前”ではない異常な世界であり、言葉では表現できない深い恐怖でした。

父親の英断によって生還したものの、終戦後も生活は困難を極めました。家を失い、食糧も不足。やがて人々が徐々に日常に戻る中、心の傷はそう簡単には癒えません。しかし彼の父の決断は、言葉以上に大きな「生きる意志」のメッセージとして、彼の心に刻み込まれていたのです。

「いま生きていること自体が奇跡なんです」と當眞さんは語ります。戦争の叫びの中で、ごくわずかに差し込んだ希望の光。それが父の「生きる選択」であり、それによって彼の人生が築かれてきたのです。

語り継ぐ使命:「戦争を語り継ぐ者」として

當眞さんは現在、沖縄県内外で講演活動などを行い、自らの体験を語り継ぐ活動に取り組んでいます。「僕の話を聞けば、戦争の恐ろしさと平和のありがたさを実感してもらえる」と語る彼の話は、老若男女問わず、多くの人々の心に響いています。

彼は「戦争の記憶が風化していくこと」に強い危機感を抱いています。長年続いた平和の中で、戦争を体験した世代が少なくなっていく今こそ、「語り継ぐこと」は未来への責務だと自覚しています。

當眞さんの話は、ただの「悲惨な昔話」ではなく、「今を生きる私たちがどう生きるか」を問う重要なメッセージでもあります。無数の命が絶たれた沖縄戦。その中で「生き延びた者」がいること、それが生きた証であり、未来への希望にもつながるのです。

慰霊の日に寄せて──命と向き合うということ

6月23日は沖縄にとって特別な日、「慰霊の日」です。沖縄戦の組織的戦闘が終結したとされるこの日には、戦没者を悼む式典が毎年開かれ、県内外から多くの人々が祈りを捧げます。

一方で、私たち一人ひとりがこの日に何を感じ、何を考えるか──それもまた意味あることだと思います。當眞さんの証言を通じて見えてくるのは、一人の父の選択が子の命を救い、その命がさらに次の命へとつながっていく「命の連鎖」です。

戦争は、数の上では「○万人の犠牲」という統計で語られがちです。しかし、その一人ひとりに名前があり、生きた日々や家族、笑顔、夢があったことを忘れてはなりません。その記憶のひとつひとつを丁寧に紡ぎ直すことが、平和への第一歩です。

今ある日常を当たり前だと思わず、命の尊さ、平和のありがたさに目を向け、「だからこそ、私たちは争わない選択ができる」と言える社会を目指すことが、きっと当時命を落とした人々への最大の供養になるのではないでしょうか。

未来へ──語り部から私たち一人ひとりへと

今、當眞さんが語ってくれた「命を選んだ父の物語」は、間違いなく未来につなげていかねばならない話です。もう一度繰り返してはならない歴史として、「語り継ぐ者」から「学ぶ者」へ、そして「次に語る者」へと、そのバトンは渡っていきます。

ひとりの決断がもたらした命。生き延びた者の語る現実。そして、今私たちが生きているということ。そのすべてが奇跡であり、また未来をつくる希望でもあります。

沖縄戦を生き抜いた當眞さんの証言は、単なる過去の歴史ではなく、今を生きる私たちへのメッセージです。「命を生きる」こと、それ自体が、最大の平和運動である――その気づきこそが、これからの時代に必要な「力」となるのではないでしょうか。

私たちができること、それは一人でも多くの人と、こうした話を共有し、考え、語り継ぐこと。今日という日を感謝し、生きることへの責任を噛みしめながら、次の世代へ「命の物語」を繋いでいきましょう。