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仁徳天皇陵古墳から鉄製農具を発見──古代王権と農耕文化の新たな手がかり

2024年、大阪府堺市に位置する古代日本最大級の前方後円墳「大山古墳」(通称・仁徳天皇陵古墳)から、古代の副葬品である鉄製のナイフやスキ(鍬の原型と考えられる農耕具)などが発見されたというニュースが発表されました。この発見は、日本古代史の研究にとって極めて重要な手がかりとなるものであり、多くの歴史愛好家や文化財研究者の注目を集めています。

この記事では、今回の副葬品発見の背景とその意義、そして今後の考古学的な展望について、できるだけ分かりやすく解説していきたいと思います。

大山古墳とは?

大山古墳は、大阪府堺市に所在する古墳時代中期(5世紀ごろ)に築かれた巨大前方後円墳で、一説では第16代仁徳天皇の陵墓とも言われています。墳丘の全長は約486メートルにも及び、日本国内の古墳としては最大規模を誇ります。また、その規模だけではなく、高度な築造技術や整備された水濠(すいごう)、周辺の陪塚(ばいちょう:従属する小型古墳)などから、被葬者が極めて高い権力を持った人物であることが想定されてきました。

2023年には、ユネスコ世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」の中核として、認定されるなど、歴史的・文化的価値が世界にも認められています。

副葬品としての発見物

今回、公益財団法人大阪府文化財センターが2023年度に行った調査の中で、周濠から鉄製の「ナイフ」や「スキ」と推定される遺物が見つかりました。これらは墳丘の内部から発見されたものではなく、水濠の一部である中堤(ちゅうてい)と呼ばれる平坦な土地を調査した際に出土しました。

鉄製品であることから、当時としては非常に貴重かつ高価な道具であったと考えられます。とりわけスキについては、現在の鍬(くわ)に近い農耕具で、農業が主要な生業であった時代には非常に重要な存在です。他にも、鉄の矢尻や動物をかたどった装飾品のようなものも見つかっており、多様な副葬品が存在した可能性が示されました。

副葬品の意味とは?

古墳に副葬された品々は、多くの場合、被葬者の社会的地位や人生、その時代の文化や生活様式を示す重要な手がかりとなります。特に今回発見されたナイフやスキなどの農具は、王権や支配者層が農業に関わる統治や経済と密接に関係していたことを示唆しているとも言われています。

古代日本では、支配者は単に軍事的な力を持つ存在というだけでなく、農耕社会を支える象徴的な存在でもありました。そのため、農具が副葬品として選ばれたことは、当時の価値観や宗教観を反映しているとも解釈できます。

また、鉄製の副葬品は技術的にも非常に高度な製法を必要とするため、そうした技術をもつ鉄器工人や鍛冶集団が、当時の政権と密接なつながりを持っていた可能性も考えられます。

なぜ発掘を行ったのか?

通常、皇室関連の陵墓とされる地域では、墳丘部分の発掘調査は原則として行われていません。宮内庁が陵墓の保存と尊厳を守る目的で発掘を認めていないからです。しかし、今回の発掘が行われたのは、大山古墳の中でも墳丘ではなく中堤という部分であり、これは堤防のような地形であるため、発掘が可能とされました。

また、近年は国際的にも文化財の公開性や透明性が求められている中で、地域の研究機関や行政も協力し、慎重かつ段階的に調査が進められています。今回の発見は、まさにそのような取り組みの一環として行われた成果と言えるでしょう。

文化財保護と地域活性化の相乗効果

このような歴史的発見は、研究者だけでなく、一般の人々にとっても非常に魅力のあるニュースです。地元堺市では、古墳群や歴史遺産を活かした観光促進や地域の活性化が進められており、今回の発見もその流れに新たな価値を加えることになりそうです。

また、こうした発見を通じて、日本人が自国の歴史に関心を持つきっかけとなることも期待されます。教育現場においても、教科書だけでは感じ取ることが難しい「古代のリアル」を伝える素材として活用される可能性があります。

今後の期待される展開

現時点では、今回発見された副葬品について、さらに精密な分析や保存処理が行われている段階です。鉄製品であっても、長年土中に埋もれていたため、酸化や腐食が進んでいます。それらを元の形に復元するには、高度な保存技術が求められます。

また、今後の発掘により、同様の副葬品や、王権と関わりの深い儀式的なアイテムが新たに見つかる可能性もあります。そのような研究が積み重なることで、仁徳天皇陵古墳のような巨大古墳がどのような背景で築かれ、どのような政治的・宗教的意義をもっていたのかが次第に明らかになっていくでしょう。

おわりに

今回の大山古墳における副葬品、ナイフやスキの発見は、日本古代史の解明にとって大きな一歩であり、私たちの日常にもどこかで繋がっている歴史の一端を感じさせてくれるものです。

何千年も前の人々がどのように生き、どのように死を迎え、その営みの中で何を大切にしたのか── そんな問いかけに、静かに、しかし確かに答えを示してくれるのが、今回のような考古学的な発見なのです。

私たちが今後もこのような文化財に対して関心を持ち、未来へと大切に受け継いでいく努力を続けていくことが、こうした豊かな歴史遺産を守る第一歩になるのではないでしょうか。