れいわ新選組・舩後靖彦氏、政界引退へ ~ALSと共に歩んだ「共生社会」の実現に向けた挑戦~
2024年4月、れいわ新選組の舩後靖彦(ふなご・やすひこ)参議院議員が、2025年に予定されている任期満了をもって政界を引退する意向を発表しました。筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患いながらも、政治の世界に飛び込んだ舩後氏の歩みは、私たちに「生きること」「共に生きる社会とは何か」を深く問いかけてくれたものでした。
この記事では、舩後氏のこれまでの軌跡とともに、ALS患者としての議員活動の意義、そして彼が訴え続けた「誰もが疎外されない社会」へのメッセージを振り返ります。
ALSとの闘い、それでも政治の舞台へ
舩後靖彦氏は1957年、東京都で誕生しました。建築関連の仕事に就き、ごく普通の生活を送っていましたが、2002年、45歳の時にALSと診断されます。ALSは進行性の神経疾患で、次第に筋肉が動かなくなっていく難病です。発症から数年以内に呼吸筋も麻痺し、意思の表出や身体の自由が著しく制限されていきます。
発症後、舩後氏は車椅子生活となり、やがて人工呼吸器と生活支援を必要とする状態になりました。しかし、そのような厳しい身体状況の中でも、「共生社会」の実現を目指す思いを胸に、2019年の参院選にれいわ新選組から立候補。多くの注目の中、議席を獲得し、ALS患者として史上初となる国会議員となりました。
支援体制を整え、国会で声を上げる
舩後氏が登院した際には、多くの課題が浮き彫りになりました。バリアフリー対応が不十分だった国会議事堂の構造や、重度障害者の介助体制についての制度的課題が露呈したのです。その中で彼と支援者は粘り強く調整を重ね、専用のスペースや介助者の同席が可能となるよう要望を重ねました。
それは、個人のための要望ではなく、「どんなに重い障害があっても社会に参加できる道が開かれるべき」という理念によるものでした。舩後氏の存在は、障害者の権利保障における具体的なケーススタディとなり、政治の場において大きな意義を持つものでした。
重度障害者である自身の体験をもとに、本人確認の在り方や施設のバリアフリー化、多様性を尊重する社会制度についての議論を牽引しました。一つひとつの発言や行動が、「当たり前」を問い直すきっかけとなったのです。
議員活動を通じて届けたメッセージ
舩後氏が登院時に声を発する際には、視線入力によるパソコンと音声合成ソフトにより、支援者を通じて発言が伝えられました。一言ひと言を紡ぎ、多くの時間と労力をかけて国会で発言する姿には、言葉にならないほどの重みがありました。
彼は言います。
「私は幸せです。意思を表現するツールがあり、支援してくれる人々がいる。だからこそ、自分のような人がもっと社会に参加できる、その仕組みを作っていきたい」
誰もが、病気を患うかもしれないし、事故にあうかもしれない。そしてそれは、いつ誰にでも起こるリスクです。そういった中で支え合える社会、理解し合える社会であってほしい——舩後氏はその切実な願いを政治を通して、私たちに繰り返し訴えてくれました。
引退を決意した背景、そして今後の展望
今回、舩後氏が政界引退を表明した背景には、自身の体力的な限界があるとされています。ALSは進行性疾患であり、彼の病状もここ数年でさらに進んだとみられます。意欲はあるものの、現実には長時間の国会活動や往復による負担が大きく、より良い形で生活と使命を全うするために決断された結果です。
しかし、彼にとっての“引退”は終わりではありません。今後は執筆活動や共同での運動を通じ、「誰も排除されない社会」の実現に向けてますます活動を広げていくことと思われます。彼の存在自体が未来への希望であることに、変わりはありません。
社会が変わるきっかけを作った一人の政治家
舩後靖彦氏の政界進出は、多くの人々にインパクトを与えました。それは単なる「話題性」ではなく、現実として変わるべきだった社会の仕組みに疑問を投げかけ、「共生」という言葉を実践に結びつける姿勢でした。
議会における多様性の重要性を示し、「障害=弱さ・支援を受けるだけの立場」という固定観念を押し広げてくれました。必要な支援があれば、誰もが社会において意見を述べ、役割を果たせる——その道を開いてくれたのです。
また、彼とともに政治に向き合ってきた多くのボランティア、介助者、政策官僚、同僚議員たちの間にも、「共に生きる」という価値観が根づいたことでしょう。これは、数値に表れづらいかもしれませんが、確実な社会的成果であり、私たちが受け取った希望のかたちでもあります。
引退後も、ひとりの市民として
舩後氏は、政治家としての影響力のほかにも、大きなメッセージを送り続けています。
「私という存在が、今この瞬間でも社会にとって意味を持ち、価値を持てている。たとえ声が出なくても、自分の“生”が誰かの勇気になる。だから私は、生きることを諦めません」
これほどまでに深い言葉を、公の場で発信しつづける意味は、何ものにも代えがたいものです。彼が今後活動の場を変えたとしても、それを受け取った私たち一人ひとりが「共有された意志」として社会に作用させていくことによって、未来の世代へと確かに繋がっていくでしょう。
終わりに
舩後靖彦氏の政界引退のニュースは、一つの時代の節目として多くの人々の心に届きました。難病と闘いながらも希望を見出し、多様性を尊重する社会のかたちを体現してきたその姿は、私たちに「ともに生きるとは何か」を問い続けてくれました。
政界を離れても、彼の想いやビジョンは絶えることなく、これからも多くの人の心を動かしていくに違いありません。
舩後靖彦さん、これまで本当にありがとうございました。そして、これからも社会の中で、あなたらしく輝き続けてください。