俳優・歌手として長年にわたり日本のエンターテインメント界を牽引してきた寺尾聰さんが、ある取材中に起きた「29秒の録音」を止めたエピソードが注目を集めています。この記事では、その背景にある寺尾さんのプロフェッショナリズムや、彼の演技にかける想いをひも解きながら、私たちにとって改めて「表現すること」の意味について考えてみたいと思います。
演技に込める真摯な姿勢
記事によると、現在放映中のNHK連続テレビ小説「虎に翼」で、裁判官の花岡役を演じている寺尾聰さん。花岡というキャラクターは、主人公である女性法律家と向き合う良識のある上司のような存在であり、物語の中でも重要な役割を果たしています。
取材の中で寺尾さんは、自身の演技に対する考え方を語る中で、録音を始めてわずか29秒で「すみません、ちょっと止めてもらっていいですか」とスタッフに告げ、収録を一時中断しました。その瞬間、少しでも中途半端な言葉で自分の意見を伝えることに対する強い葛藤と責任感が表れており、寺尾さんの誠実な人となりがにじんでいます。
多くのインタビューでは、一定の時間の中で効率的に情報を引き出すことが求められますが、寺尾さんにとっては「言葉を発する前に、それが自分の真意なのかどうか」を見極めることの方が何よりも大事だったのです。
「言葉の重み」を大切にするという芸の境地
寺尾聰さんは、「時には耳当たりの良い発言をすることで無意識のうちに本質から離れてしまうことがある」という話をしており、そこにひとかたならぬ演技への向き合い方がにじみ出ています。
作品に出演する度に、役を通して観る人の心に届く表現を模索し続けている寺尾さんにとって、取材もまた自らの言葉でしっかりと伝える場であり、軽率な受け答えは自身のポリシーに反するのかもしれません。ただ話すのではなく、「伝える」ことの重みをよく理解しているからこそ、たとえ取材中であっても一度録音をストップする決断をしたのでしょう。
演じることとは、自分自身を役に投影する作業であり、時に自分でも気づかなかった感情に向き合うような体験でもあります。セリフ一つにも自然な呼吸や間が必要であり、それは日常の会話と似て非なるものでしょう。観る人の心に届く芝居を完成させるには、役者自身がその言葉の深さと整合性を真摯に考える時間が欠かせないのです。
親から学んだ「人としての土台」
また、寺尾さんはインタビュー中、実父である日本映画界の名優・宇野重吉さんについても触れています。宇野さんは厳しい演劇教育で知られていた人物ですが、家庭では穏やかな父だったと語られています。そんな父の姿勢が、今の寺尾さんの生き様や芝居に深く影響を与えていることがうかがえます。
亡き父との思い出の中には、家の中で何となく流れていた音楽や、舞台の稽古で見せる真剣な姿が脳裏に焼きついており、そこから寺尾さんは「表現する」とは何かを無意識のうちに学んだのでしょう。
自らも音楽活動を続けながら俳優業に取り組んでいる寺尾さんにとって、演技も音楽も区別のない「表現の場」であるに違いありません。そして、そのすべてに共通しているのが、「真摯であること」。それを支えるのが、父から引き継いだ人としての在り方であり、今やそれは寺尾さんならではの哲学になっているように感じられます。
時間と対話を大切にする姿勢
インタビューの中では、寺尾さんは言葉を選びながら丁寧に質問に答えていました。その姿勢から感じられるのは、短時間でメディアの求める回答を終えるのではなく、「対話の中でこそ本当の思いが浮き彫りになる」ということへの想いです。
今の情報社会では、簡潔にまとめられた言葉が大きなインパクトを持ち、時にはそれが一人歩きしてしまうこともあります。しかし寺尾さんのように、「自分の中の確かな言葉」が出てくるまで無理に話さないというスタンスは、改めて「本当に意味のある言葉を紡ぐこと」の大切さを気づかせてくれます。
普段、私たちはつい話す内容やスピードに意識が向きがちですが、「何を話さないか」「どのように伝えるか」もまた重要です。寺尾聰さんのように、たとえ時間がかかっても相手の前で一つひとつの言葉に責任を持つ姿勢は、とても誠実で、真のプロフェッショナル精神だと言えるでしょう。
表現の時代に大切なもの
映像作品や音楽、さらにはSNSなど、誰もが何らかの形で「表現者」になれる時代。そんな今だからこそ、寺尾聰さんのように一つの行動や言葉に深い想いを込めることの価値を見直す必要があるのではないでしょうか。
取材の中でたった29秒で録音を止めたという一見些細な行動には、「言葉にできるまで自分の中で咀嚼する」という誠実な姿勢が込められていました。それは、見せかけの表現ではなく、「本当に伝えたいこととは何か」を追求するその人の覚悟です。
これからも、自らの信念を持って表現をし続けていくであろう寺尾聰さん。彼の「29秒」で表された言葉以上のメッセージを、私たちは目と耳と心で受け止めていきたいですね。
まとめ
寺尾聰さんが取材中に29秒で録音を止めたというエピソードは、決して「取材拒否」や「気難しさ」ではありませんでした。それはむしろ、発する一言一句に対して忠実であろうとする、役者としての矜持でもあり、人としての誠実さの表れだったのです。
役に入り込み、自分の想いを言葉にするために時間を惜しまない姿勢。そんな寺尾さんだからこそ、多くの人々から長年愛され続けているのでしょう。
私たちの日常にも通じる、この「慎重であることの美学」を、今一度心に留めておきたいと思いました。