1990年代の職場とセクハラ問題――あの時代と今をつなぐもの
現代の私たちは、職場のハラスメント、とりわけセクシャルハラスメント(セクハラ)に対して、少しずつながらも確かな知識と感受性を備えつつあります。しかし、ほんの30年前の1990年代には、セクハラという概念そのものが社会全体で認知されていなかったと言っても過言ではありません。当時の日本の職場環境と、今の変化について振り返ることで、私たちがどこから来て、どこへ向かっているのかを見つめ直すことができます。
本記事では、最近話題となったYahoo!ニュースの特集「今ならセクハラ問題 90年代の職場」をもとに、時代の変化、当時の職場の空気感、そして現在への示唆を探ってみたいと思います。
「酒の席」は断れなかった――90年代の企業文化
当時の企業文化では、「酒の席」が半ば業務の一環のように扱われており、上司からの誘いを断ることは難しい状況でした。終業後も「付き合い」で飲みに行くことが当然とされ、そこに女性が同席することも多くありました。問題はその場面で行われる会話や態度が、現代であれば明確に「セクハラ」と判断される内容であっても、当時は「あいさつ代わり」や「軽口」として容認されていたことです。
例えば、身体的な容姿についてのコメントや、過度なボディタッチ、「女の子なんだから気を利かせて」などといった発言。それらは、当時の職場では見過ごされる傾向が強く、被害を受けた側が声をあげづらい空気がありました。主人公が見えなかった、つまり「セクハラ被害者」という立場が見えにくい時代だったのです。
女性の声が「浮いてしまう」時代
90年代当時、職場の多くは男性が主導する構造でした。管理職や役職に女性が就く例は少なく、女性社員は「補助的な存在」として扱われるケースが多かったのです。パワーバランスにおいて、発言力や影響力が限定的な状況で、セクハラに遭っても「我慢するしかない」と感じる人が多くいました。
また、職場で問題提起をしようとすれば、「空気を読んでいない」「生意気」などと言われる恐れもありました。そうした環境では、たとえセクハラを受けたとしても、それを相談することすらハードルが高かったのです。現代のように相談窓口や内部通報制度が整備されていなかったため、被害者が孤立するケースも少なくありませんでした。
メディアの影響と、「セクハラ」の概念の浸透
1990年代から2000年代初頭にかけて、日本でも徐々にセクハラやパワハラといった社会問題への関心が高まりました。特に1999年に施行された「男女雇用機会均等法(改正法)」では、職場でのセクシュアルハラスメント防止が事業主の義務として明記され、企業も対応を求められるようになりました。
同時に、テレビドラマや新聞、バラエティ番組などメディアがハラスメント問題を取り上げるようになり、一般市民にも「セクハラ」という言葉が広く認識されるようになっていきました。こうした時代背景の中で、被害を受けた女性たちが少しずつ声をあげはじめ、それを支える支援団体や法律家の存在も注目されるようになっていきます。
「今ならセクハラ」と言える理由
今回話題となったYahoo!ニュースの記事の中では、「今ならセクハラとされる行為」が当時いかに日常的だったかが語られています。つまり、それは「時代」という枠組みによって、ある行為の許容・不許容が大きく変化してきたことを意味しています。
ある意味で、当時の「常識」とは、現代から見れば「無自覚な加害」だったかもしれません。そして、それを受ける側の沈黙も、「仕方がない」と諦めざるを得ない圧力によって形成されていたと言えるでしょう。
しかし、これは単なる過去の話ではありません。今、私たちが「セクハラ」を知っているのは、過去に声をあげた誰かがいたからであり、その勇気が社会を変えてきたのです。
変わってきた意識、けれど、まだ「完全」ではない
近年では、ハラスメント研修の導入やコンプライアンス体制の整備が進み、職場における意識は大きく変わってきました。従業員一人ひとりがハラスメントの定義を学び、自分自身の言動を振り返る機会も増えています。また、SNSなどのパブリックな場で声をあげることができるようになった一方、匿名性の高い誹謗中傷や風評被害といった新たな問題も現れています。
つまり、「セクハラ問題」は進歩しているように見えて、まだ完全に解決されたわけではありません。むしろ、「これってセクハラかも?」と疑問を持つことができたり、社内で相談窓口が整備されたこと自体が大きな一歩であり、変化がなお必要な現場も依然として存在しています。
過去を知ることが、未来を変える一歩に
90年代の職場を知り、「今ならセクハラ」と言えるようになった背景を理解することは、単なる懐古ではありません。私たちは、あの時代の「普通」を学ぶことで、今後、どんな社会を築いていくべきかを考える材料を得ることができます。
セクハラ問題に限らず、何らかの「違和感」を口にすることができる職場、誰もが安心して働ける空間づくりは、私たち一人ひとりの小さな気づきや行動によって創られていきます。そのために過去を振り返り、少しだけ立ち止まって考える時間を持つこと。それが、より良い未来への第一歩になるのではないでしょうか。
結びに
「今ならセクハラ」と言える過去があるように、「未来にはもっと良くなっている」という希望を持つことは決して過剰な願望ではありません。誰もが大切にされる職場、言葉や態度で互いを尊重できる働き方――そんな社会を目指して、今できることを少しずつ積み重ねていきましょう。私たちの気づきと対話が、未来のスタンダードをつくる力になるのです。