2008年6月8日、東京・秋葉原の街が一変した日を覚えている人は多いのではないでしょうか。あの日、通行人を無差別に襲う凄惨な事件が起こり、歩行者天国でにぎわっていた秋葉原の空気は一瞬で恐怖に包まれました。7人の尊い命が奪われ、10人が重軽傷を負ったこの事件は、現代社会における暴力の深刻さと人間の心の脆弱さを強く印象づけました。
この事件発生からすでに15年以上が経過しましたが、その日を現場で目撃し、被害者を救助した人々の心にはいまなお深い傷が残されていることが、今回明らかになりました。事件の現場で救助にあたった男性が、精神的なダメージによってPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症し、現在も苦しんでいることが報道されています。
彼は、あの日秋葉原を訪れていた一般の通行人でした。凄惨な状況を目の当たりにし、とっさの判断で負傷者の救護に加わりました。救急車が到着するまでの数分間、まさに命をつなぐための必死の対応だったといいます。しかしその人道的とも言える行為は、その後の人生に深い影を落とす結果につながったのです。
PTSDとは、生命に関わるような強いストレスを受けた後に発症する精神的な病です。フラッシュバックや過呼吸、不眠、強い不安などの症状が続くことで、日常生活に支障をきたすこともあります。救助にあたったこの男性の場合も、事件当時の記憶が【夢や日常生活の中で突然よみがえる】といったフラッシュバックに悩まされ続けており、現在も精神科での治療を受けているとのことです。日常に戻りたくても戻れない、そのような苦しい状態が15年も続いているのです。
人を助けるために行動したにも関わらず、それによって心身の苦しみを抱えるという事実は、決して一部の人の問題ではありません。災害や事件、事故などの現場に立ち会ったすべての人が、同様に心のケアを必要とする可能性があります。救助活動や目撃体験の後に、知らず知らずのうちに心が傷つき、その後の人生に影響を与えてしまう──これは社会としても真剣に取り組むべき問題です。
事件直後、多くの報道が「加害者の人物像」や「事件背景」に焦点を当てる中で、現場に居合わせた一般市民の心理的な影響や負担は、長らく語られてこなかったように思います。応急処置や心肺蘇生を行った一般市民の努力は賞賛されても、その後のフォロー体制やメンタルサポートが整っていたとは言い難い状況でした。このような現実が、今回の報道で浮き彫りになったと言えるでしょう。
私たちがこの事実から学ばなければならないのは、「勇気ある行動」の裏には「深い心の傷」が潜んでいる可能性がある、ということです。そして、そのような人々に対しては、社会全体で継続的な理解と支援が必要です。事件現場に立ち会い、助けを求める声に応じたすべての人が、安全の中で生きられるように──それが、社会の持つべき責任ではないでしょうか。
また、災害や事件の際に心的外傷を受けた人たちへの支援体制を整えることは、行政や医療機関だけでなく、私たち一人ひとりに問われる課題でもあります。身近に心に傷を抱える人がいるかもしれないという意識を持ち、必要に応じて話を聞いたり、必要な専門機関へつなげるような橋渡しができる社会。それこそが、第二・第三の「支援者の心の傷」を生まないための守りとなるのです。
このような事件が二度と繰り返されないようにという願いと同時に、あの場で懸命に人を救おうとした人たちの「その後の人生」にも目を向けることが、真の意味での再発防止策につながるはずです。「心の傷」は目には見えませんが、その痛みは確かに存在しています。
日々の暮らしのなかで、思いがけず心に傷を負うような体験をする可能性は誰にでもあります。だからこそ、今日この瞬間にも、見えないところで苦しむ人たちがいるという現実を忘れてはいけません。その一歩として、まずはこの秋葉原事件をあらためて心に刻み、当事者に対して尊重と理解の気持ちを持つことが、今を生きる私たちにできる小さなけれど大切なアクションなのかもしれません。
社会の一員として、勇気あるすべての行動が正しく評価され、そして必要な支援が届く未来を祈りつつ、この出来事から目をそらさないことが私たちに求められています。