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汗で破けた答案用紙が語る、「見えない苦しみ」に光を当てるとき

16歳の「汗」で破けた答案用紙──多汗症がもたらす見えにくい苦悩と社会の理解

2024年6月、ある高校生の体験談がニュースとして取り上げられ、多くの人の共感を呼びました。タイトルは「答案ふやけて破ける 多汗症の16歳」。この短い一文に込められたのは、多くの人が見過ごしがちな身体症状と、それに起因する日々の困難、そしてそれを取り巻く社会的な無理解への警鐘でした。本記事では、そのニュースの内容とともに、「多汗症」という症状の実態や、当事者が直面する課題、そして私たちができる理解と支援のあり方を深く掘り下げていきたいと思います。

答案用紙が破れてしまった──それは汗のせいだった

ニュースで取り上げられたのは、東京都内に住む16歳の高校生が経験した一場面。彼女は生まれつき手の平や足の裏に大量の汗をかく「原発性局所多汗症」という疾患を抱えています。試験中、多汗症によって手汗が答案用紙に染み込み、用紙がふやけて破れてしまったといいます。その結果、解答を書き直すことも修正することもできず、本来の実力を発揮できなかったそうです。

手汗がこれほどまでに日常生活を左右するとは、想像しにくい方も多いかもしれません。しかし、こうした体験は、彼女にとっては日常の一コマであり、多汗症を抱える多くの人々にとっても共通する苦悩です。

「多汗症」とはどんな病気か?

多汗症は、必要以上に発汗が促される状態を指します。特に、明確な原因が見つからないにもかかわらず、手のひらや足の裏、脇の下などに対して過剰な発汗が起こるタイプを「原発性局所多汗症」と呼びます。この疾患は、小児期や思春期に発症することが多く、日本皮膚科学会によると約5%の人々が該当するとも言われています。

この数字からもわかるように、決して珍しい疾患ではありません。しかし、多くの人は「汗は恥ずかしいもの」「緊張してるだけ」「体質だから仕方がない」といったステレオタイプにとらわれ、適切な治療を受けないまま過ごしてしまうことが多いのが現状です。

学業や日常生活への影響

多汗症は、見た目の症状以上に、日常生活に深刻な影響を与えています。たとえば、以下のような問題を多くの患者が抱えています。

– ノートに文字が書きにくい、書いた文字が滲む
– テストで答案用紙が破れたり読みにくくなったりする
– 書類やプリントが頻繁に濡れて使い物にならない
– 掌の汗で人と握手できない、スマホやパソコンの操作が困難
– 夏以外でも手足が常に湿っているため、異様に思われやすい

高校生という繊細な時期に、こうした困難に日々直面するというのは、想像以上に心理的ストレスが大きいものです。「ただの汗でしょ」「気にしすぎだよ」という言葉は、本人には決して励ましにはなりません。むしろ、気にしないようにすること自体が苦痛なのです。

治療法はあるのか?

多汗症にはいくつかの治療法が存在します。たとえば、軽度であれば制汗スプレーや塩化アルミニウム液の応用、中程度以上にはイオントフォレーシスや皮膚科でのボトックス注射などが用いられます。重度の患者については、外科的手術(交感神経遮断術)も選択肢としてあります。

とはいえ、これらの治療は必ずしも保険適用内ではない場合がありますし、年齢制限のある治療法も多く、未成年者にとっては選択肢が限られているのが現状です。経済的な負担も大きく、保護者の理解と協力が不可欠です。

さらに、学校側や周囲の人々が多汗症に対する理解を持っていないと、日常的なサポートも難しくなります。学校での配慮(答案用紙の複写や、特別な試験環境の提供など)も、本人や家族が勇気を出して相談しない限り、制度として用意されていないケースもまだまだ多いのです。

私たち大人にできること

このニュースが大きな反響を呼んだのは、患者の苦しみをまだ十分に理解できていない社会の現実を浮き彫りにしたからです。私たちがまずできることは、「汗をかくこと」に対する偏見を取り除き、多汗症が「単なる緊張や体質によるものではない」と理解することです。

その上で、学校や家庭、職場などで次のような配慮が実現すれば、当事者の生活は大きく変わっていくでしょう。

– 試験時に多汗症の生徒に対して、答案用紙をラミネートしたり、予備用紙を用意したりする
– 多汗症を恥ずかしいと感じさせない教育を学校で行う
– 医療費助成や保険適用拡大といった制度的支援の充実を図る
– 相談しやすい環境を作り、問題を隠さなくてもよいと感じさせる風土を育てる

思春期の子どもにとって、自分が他人と違うということは非常に大きなストレスです。その子に「あなたのままでいい」と伝えてあげられる環境をつくることが、私たち大人に問われている役割ではないでしょうか。

最後に──声を上げる勇気に敬意を

今回のニュースでこの体験を公にした16歳の少女には、大きな勇気があったと思います。繊細な年頃に自分の体のことを打ち明けるのは、決して簡単なことではありません。しかし、彼女が声を上げてくれたおかげで、多汗症という疾患に光があたり、同じ悩みを抱える人々にも少しずつ理解の輪が広がっていくことでしょう。

「些細なことかもしれないけれど、自分にとっては大問題」。こうした声に耳を傾け、当事者の立場で考えること。それこそが、やさしく多様性に寄り添った社会への第一歩ではないかと思います。

私たち一人ひとりがその気づきを持つことで、安心して学び、働き、生きていける社会が、少しずつでも実現していくことを願ってやみません。