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増える「獄死」──厳罰化がもたらす無期懲役の現実と社会の課題

※本記事は、Yahoo!ニュース「無期懲役囚 厳罰化で獄死が増加」(https://news.yahoo.co.jp/pickup/6541415?source=rss)をもとに執筆しています。

【無期懲役囚の「獄死」が増加──厳罰化の影響とその背景とは】

近年、刑罰制度をめぐる議論の中で「厳罰化」がキーワードとして頻出するようになっています。特に無期懲役刑については、「仮釈放があるから無期懲役では軽すぎる」という声がかつてからあり、そうした世論や社会的要請を背景に、裁判所でも仮釈放を前提としない厳しい姿勢が広がってきました。

しかしその結果として、無期懲役刑を言い渡された受刑者のうち、実際に仮釈放される人の数が減少し、「獄死」、つまり服役中に死亡するケースが年々顕著に増加しているのが現実です。刑罰の厳格化は果たして私たちの社会にとって何を意味するのか、また、どのような課題が浮かび上がっているのでしょうか。本記事では、無期懲役刑に抱える現状と今後の課題について考察します。

 

■「仮釈放の可能性がある終身刑」の現実

日本における無期懲役刑は、「終身刑ではあるものの、一定の条件を満たせば仮釈放もあり得る」というものでした。しかし、近年はその仮釈放が事実上ほとんど認められなくなっています。

法務省が発表したデータによると、2022年の段階で無期懲役刑を受けている受刑者のうち、仮釈放されたのはわずか1人のみ。これは、仮釈放のハードルがこれまで以上に高くなっていることを示しています。

無期懲役刑という制度には本来、「更生した者には社会復帰の道を閉ざさない」という哲学がありました。しかし、それが実質的に閉ざされつつある今、「名ばかりの仮釈放」とも言えるような状態に陥っているとも言えます。

 

■なぜ無期懲役囚の「獄死」が増えているのか?

かつては無期懲役刑を受けた受刑者でも、20〜30年の刑期を過ぎた後に仮釈放されるケースが一定数存在していました。家庭に戻り穏やかな老後を過ごせる可能性があったのです。

しかし、特に2000年代以降、世論の厳罰化的な意見や「再犯を絶対に許さない」という社会的風潮が高まるにつれ、仮釈放に対して非常に慎重な方針が取られるようになりました。

これにより、仮釈放を一度も経験することなく高齢化し、そのまま刑務所内で亡くなる、いわゆる「獄死」が無期懲役受刑者の間で増加しています。2022年には、無期懲役刑を受けていた高齢受刑者が獄中で死亡した件数は、過去最も高い水準に達したと報じられました。

これは単に「厳しくなった」という表現だけでは収まらない深い社会的課題を孕んでいます。

 

■刑務所の高齢化と福祉の逼迫

受刑者に「刑罰」を与えることは確かに正義の執行とも言えますが、現代社会における刑務所は高齢者の収容施設のような様相も呈してきました。

特に無期懲役受刑者に関しては、長期間にわたる服役が必要となるため、年齢とともに身体的な衰え、認知症の進行、持病など、様々な医療・介護が必要な事態が発生します。このような高齢者受刑者の増加は、刑務所の運営にも深刻な影響を与えています。

本来、刑務所は「再犯を防ぎ、社会復帰を促す」教育的役割をも持つべき場であるはずですが、介護付きの長期入所施設のようになっている現実は、社会全体での刑罰制度の哲学的議論の必要性を浮き彫りにしています。

また、多くの刑務所では医療体制が十分とは言えません。高齢受刑者への対応という点では、民間の福祉施設よりも圧倒的に遅れているのが現状です。いわば「福祉としての刑務所」が制度的にも現場のキャパシティ的にも完全には整っていない状況です。

 

■更生の可能性と社会の受け入れ体制

無期懲役という刑罰には、犯した罪の重大性に対する社会的な制裁の意味が込められています。しかし、「量刑が重い=更生不能」という考え方があまりにも定着してしまうことで、社会が更生や償いというプロセスを放棄してしまう危険も伴います。

実際には、長年の服役を経て自らの過ちを深く反省し、更生プログラムや教化活動に熱心に取り組む受刑者も少なくありません。しかし、それでもなお社会側が仮釈放に否定的である限り、そうした努力は実を結ばず、結果として刑務所内で最期を迎えるという現実が繰り返されます。

更生の可能性に目を向けることと、安全な社会を維持することは相反するものではありません。「もう一度生き直す機会」を誰にまで与えるかという倫理的課題を、私たち一人ひとりが考える時期に来ていると言えるでしょう。

 

■厳罰だけでは解決できない課題に向き合う

犯罪の抑止や被害者感情の尊重という意味での厳罰化の必要性を否定するものではありません。ただし、その一方で刑罰制度が単なる「隔離」や「排除」ではなく、真に社会と個人の再生につながるものであるには、制度設計の見直しと、もう一歩踏み込んだ議論が求められます。

現状においては、無期懲役そのものが「実質的な終身刑」となっており、仮釈放制度が形骸化しているという厳しい現実に直面しています。この風潮は、刑罰が本来果たすべき「教育と再生」を後景に押しやっていると言えます。

特に高齢受刑者が獄中で亡くなるという事実は、果たしてそれが私たちが望んだ「正義」だったのか、根本的に問われる機会でもあるのです。

 

■おわりに──社会が目指すべき「正義」とは

人は過ちを犯すことがあります。そして、それに対して一定の制裁が必要であることもまた、社会を守る上で避けて通れません。しかし、それと同時に「人が変わる機会」、「もう一度やりなおす機会」についても、同じくらい大切にされるべきです。

無期懲役という制度は、そうした二面性を併せ持つものでした。今、そのバランスが大きく崩れつつあります。仮釈放制度の在り方、刑務所の機能、そして社会全体としての再受け入れの心構え──それら全てが、今私たちに問われているのです。

「獄死」が増えるという現象は、単なる刑務所内の出来事ではありません。それは社会全体が持つ「刑罰とは何か」「許しとは何か」という価値観の反映でもあります。

今こそ、感情論に左右されず、冷静にかつ人間らしさを持って、刑罰制度のあるべき姿について見直すときではないでしょうか。