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「黒く塗られた家が問いかける イギリスの静かな町に起きた“観光公害”のジレンマ」

イギリスで議論呼ぶ「観光公害」──静かな街を守りたい住民たちの選択

近年、SNSの発達や映画・ドラマのロケ地としての注目により、これまで観光地として広く知られていなかった場所へも多くの旅行者が足を運ぶようになりました。中でもイギリス南西部の沿岸の町クロヴェリー(Clovelly)は、絵本から抜け出たような趣ある街並みで知られ、美しい海と中世的な石畳の小道、白壁のコテージが観光客に人気を博してきました。

しかし、その美しさの裏で静かに深刻化する問題が存在しています。それが「観光公害(観光による生活環境の悪化)」です。日本でも一部の都市や観光地で話題になったこの問題は、今イギリスでも注目を集めています。そして今回、クロヴェリーで実際に起きたある騒動が、その課題を浮き彫りにしました。

黒く塗られた「異質な家」

問題の中心となったのは、一軒の家でした。一見しただけで他の家々と趣が異なるその家の外観。その理由は明白で、周囲の家々が白く塗られ、統一された歴史的景観を保つ中、この家は真っ黒に塗られていたのです。

この家に住む住民、スティーブ・ウィリアムズ氏(仮名)は、「家の塗装は私たちの意思表現であり、私有地に手を加える自由は保証されるべきだ」と語っています。とはいえ、この「黒家」として知られた一軒の住居には、住民や観光客から様々な反応が寄せられるようになりました。

観光地のジレンマ:住む人と訪れる人のズレ

クロヴェリーは、美しい景観を維持するために自動車の乗り入れが制限されており、住民や観光客は徒歩で移動せざるを得ないという特性があります。そのため観光客が急増すると、その道幅の狭さや静けさが逆にストレスの温床となることもあります。

住民たちにとっては、早朝から夜遅くまで響く人の声、ゴミのポイ捨て、大勢での写真撮影、InstagramやTikTokに使用される目的での無断撮影などが日常化してしまったことへの不満が日々積み重なっていたといいます。スティーブ氏が自身の家を黒く塗った背景には、「観光客に対して無言の抗議をしたい」という動機があったようです。

街の景観か、個人の自由か?

この事例は、住民の自己表現と街としての景観保護との間で生じる対立として、国内外のメディアでも取り上げられました。一部の専門家からは、「歴史的建造物が多い地域では建物の外観に制限を設けるのは一般的な話。景観保護の観点から見れば黒く塗ったこと自体が問題だ」という意見もあれば、「住民が自身の生活環境に物言いをするのは自然な流れで、観光客優先の環境が招いた当然の結果」と擁護する意見も出ています。

また、街の運営委員会のような役割を果たす役所は「この町が長年築いてきた美しい景観を維持するためには、住民と観光産業が共に歩くべき」と中立的な立場を取りつつも、調和の取れた対応を模索している段階です。

「インスタ映え」の功罪

この問題の元凶のひとつには、「SNSで映える場所」を求める観光トレンドもあります。現代の旅行者の多くは、ガイドブックよりもSNSを参考に旅先を選び、撮影スポットとして話題の場所に押し寄せます。クロヴェリーもその例外ではなく、白壁のコテージが並ぶ小径に立つとSNSで注目を集め、その結果として人々の目線を求める行為が過激になる例もあったといいます。

そのような状況において、「他の人とは違う」と明確なメッセージを打ち出したスティーブ氏の行動は、ある意味現代社会が抱える観光と個人の線引きに一石を投じたとも言えるでしょう。

世界各地で増える観光公害──日本も他人事ではない

この話は決してイギリスの小さな町クロヴェリーだけの問題ではありません。京都や鎌倉、富士山周辺など、日本の観光地でも外国人観光客の増加に伴って住民の生活環境に影響が出ている例が報告されています。

マナーを守らない行動や、写真を撮るために立ち入り禁止区域に侵入してしまう事例、過剰な車の往来など、「観光公害」という言葉は今や世界共通語になりつつあります。

観光はその地の経済を潤す大切な要素である一方で、地域の文化や住民の暮らしとどう調和させるかは、今後の大きな課題です。観光地に住む人々の「生活権」と、観光客の「見る権利・楽しむ権利」のバランスをどう取るか。今回のクロヴェリーの事例は、私たちにその問いを改めて突き付けているのです。

共に考え、行動することの大切さ

観光のあり方を見直す機運は世界中で高まっており、「サステナブルツーリズム(持続可能な観光)」という言葉も耳にするようになりました。それは単に自然や文化資源を守るだけでなく、人々の生活や心の豊かさにも配慮した観光スタイルを意味します。

観光する私たち一人ひとりが、「その町には人が暮らしている」という意識を持つこと。その基本的なことを忘れないことが、持続可能な観光の第一歩です。今回話題となった黒い家も、そうした議論のきっかけになるひとつの象徴かもしれません。

建物の色をめぐる論争の向こうに垣間見えるのは、誰もが心地よく過ごせる場所をつくりたいという思いです。観光地には、そこで暮らす人の「普通の日常」がある。その日常が少しずつすり減っていく前に、訪れる側と迎える側が互いに敬意を持つことが、これからの観光地との付き合い方のカギとなるでしょう。