芥川賞作家・乗代雄介氏、アウティングを巡り提訴――プライバシー権と表現の自由のせめぎ合い
2024年6月、文壇に新たな波紋が広がる出来事が報じられました。芥川賞作家で知られる乗代雄介(のりしろ・ゆうすけ)氏が、自身の性的指向などプライベートに関する情報を、無断で暴露されたとして、出版社と著者を相手取り損害賠償を求めて提訴した案件です。この訴訟は、作家という公の存在でありながらも、個人としての尊厳やプライバシーを守る権利について大きな議論を呼んでいます。
本記事では、この問題に関連する背景、当事者の主張、そして社会に与える影響について、冷静に見つめながら考察していきたいと思います。
■「アウティング」とは何か?
まず、今回の事件の中心にある「アウティング」という言葉について確認しておきましょう。アウティングとは、第三者が本人の同意なく、性的指向や性自認などのセンシティブな個人情報を他人に暴露する行為を指します。特にLGBTQ+当事者にとって、アウティングは深刻な社会的・心理的ダメージを与える可能性があり、その危険性が社会問題として認識されるようになってきました。
プライバシーはすべての人にとって守られるべき基本的な人権であり、自らのセクシュアリティについて話すかどうかは、個人が自由に決めるべき領域です。その権利が一方的に奪われることは、当人の尊厳を傷つけ、日常生活や仕事、人間関係への深刻な影響を及ぼすこともあります。
■告発の経緯と訴訟内容
本件の発端となったのは、あるノンフィクション作品において、乗代雄介氏に関する記述がなされたことでした。その著作の中で、乗代氏の性的指向に関する情報が、本人の同意なしに紹介されたとされています。この情報開示が「アウティング」に当たるとして、乗代氏は法的措置に踏み切りました。
報道によれば、乗代氏は著作中でプライベートな情報を暴露されたことにより、精神的苦痛を受けたと主張し、出版社と著者に対して損害賠償を求めています。一方、出版社側は「作品は事実に基づいて書かれており、公益性のある内容」として表現の自由を主張する構えを見せています。
この対立は、プライバシー権と表現の自由という二つの権利が対峙する形となり、今後の裁判の行方にも大きな注目が集まっています。
■表現者のジレンマ――創作とパーソナルな現実
乗代雄介氏といえば、2019年に『最高の任務』で芥川賞候補となり、文学界に新風を吹き込んだ作家として知られています。作品においては日常の奥にある哲学的視点や、現代社会の複雑さを巧みに織り交ぜる作風が評価されており、若手文学者の中でも存在感を放っています。
その彼が、自らの過去ではなく、他者によって「描かれてしまった」自分について法に訴えるというのは、非常にセンシティブで示唆に富む出来事と言えるでしょう。多くの作家が、自らや周囲の人物の実体験を基に創作を行うことがありますが、それに伴って他者のプライバシーにどこまで踏み込んで良いのか。そして何を描くべきで、何を描いてはならないのか――これは創作者にとって永遠のテーマとも言えます。
今回の事例では、モデルとして実在の人物を扱うノンフィクション作品であることから、表現の自由が持つ報道価値や社会的意義も問われる形になっています。しかし、それがいかに資料的価値をもつとしても、本人が望まない形でプライベートな情報を公開することは正当化され得るのかを考える必要があります。
■社会としての受け止め方
SNSやメディアでもこの件に関して、「本人の同意ないアウティングは絶対に許されるものではない」という意見の一方、「表現の自由を大事にすべきだ」といったコメントも見られ、議論は二極化しています。
ここで忘れてはいけないのは、「表現の自由」と「他者への配慮」は二律背反ではないということです。表現者は自由に発信する権利を持つ一方で、対象となる人物の感情や尊厳、その生き方を直視し、そこに立ち入る責任も同時に必要です。
無断で個人情報を曖昧な形で露出させることのリスクは、従来の報道や出版の世界でも繰り返し問題になってきました。特に現代はインターネットやSNSを通じて、情報が瞬く間に拡散される時代です。今一度、情報の発信について慎重な姿勢を取り戻すべきという社会的メッセージもあるのではないでしょうか。
■今後の展望と課題
この裁判は、単なる一人の作家と出版社間の問題にとどまらず、「個人の尊厳」と「表現の自由」の境界線を考える機会になるでしょう。司法がどのような判断を下すかによって、今後の出版や報道、表現活動における倫理基準が見直される可能性もあります。
また、このような問題が起こる際に、当事者が声を上げやすい環境を整えることも社会としての課題です。性的指向や性別に関わる情報は極めてセンシティブであり、誤解や偏見によって精神的苦痛を受ける例も少なくありません。当事者が安心して暮らすことができる社会を築くためにも、アウティングという行為の本質を正しく理解することが求められます。
■最後に
今回の提訴は、乗代雄介氏というひとりの作家が、自らの尊厳と向き合い、社会に対して問いを投げかけたものだといえるでしょう。そしてその問いは、私たち全員に向けられたものでもあります。
「人のプライバシーとは何か?」「表現の自由の境界線はどこにあるのか?」といった深いテーマについて、今一度考え直す機会にしたいものです。表現をする側も受け取る側も、相手の立場や心情に配慮した行動を心がけることが、何よりも重要なのではないでしょうか。
事実を伝える責任と、個人の尊厳を守る配慮――その両方のバランスを保つことが、これからの表現社会に求められる大きな課題となっていくことでしょう。