2023年、静岡県を襲った記録的豪雨により、命を落とした一人の若き警察官がいました。その名は、静岡県警の巡査部長、増田純也さん(当時30歳)。災害の発生時、市民を守るために危険な現場で献身的に勤務していた増田さんは、豪雨による土砂災害に巻き込まれ、帰らぬ人となりました。そして2024年6月、彼の両親が「息子の死は未然に防ぐことができた」として、静岡県に対して損害賠償を求める訴訟を起こしました。
この記事では、ご子息の死をめぐって提起されたこの訴訟の背景、現場の状況、遺族の想い、そして私たちが学ぶべき教訓について探ります。
■ 若き命が失われた日
増田巡査部長が命を落としたのは、2023年9月の豪雨のさなかでした。その日、県内では記録的な集中豪雨が観測され、各地で土砂災害や河川の氾濫が発生していました。増田さんは浜松市内の土砂災害の危険が高まっていた住宅地に派遣され、住民の避難誘導にあたっていました。
雨足が激しくなり状況は急激に悪化。崩落した土砂に巻き込まれる形で、増田さんは殉職しました。災害時に現場で活動していた警察官としての責務を全うしたその姿は、多くの人々の胸を打ちました。
■ 遺族が求めた「検証」と「説明」
増田さんの両親は、息子の死後、ただちに「なぜ命を落とすことになったのか」を明らかにするための調査と説明を求めました。増田さんが派遣された現場は、すでに災害発生の危険性が高いとされ、避難指示も出されていた地域。両親は、天候や現地の状況から判断して、派遣を中止する判断もあり得たのではないかと考えています。
また、増田さんが十分な装備を持っていたのか、危険回避のためのマニュアルは周知されていたのか、通信手段は確保されていたのかといった点も、再発防止のために正確に検証される必要があると訴えています。
■ 訴訟の概要と県の対応
今回の訴訟で両親は、県に対して約9200万円の損害賠償を求めています。その根拠としては、「職務上の安全配慮義務違反」があるとされています。つまり、災害リスクが高く適切な判断が求められる場面でありながら、派遣決定に至る過程でリスク軽視や対応の遅れがあった可能性がある、という主張です。
一方、静岡県警は「派遣は適切だった」とし、現時点で対応に問題はなかったとの見解を示しています。ただし今後は、訴訟の過程で現場の判断や安全管理体制などがあらためて検証されることになります。
■ 「公務に命を懸けた息子を忘れないでほしい」
記者会見で目に涙を浮かべながら語っていたのは、増田さんの母親の言葉です。
「彼は市民の安全を守るために被災地に向かった。自分の命を省みず、誰かの役に立とうと行動した。そんな息子の行動を無駄にしてほしくないし、同じような悲劇を繰り返してほしくない」
このような姿勢は、職務に忠実な現場の警察官たちが直面している過酷な現実を物語っています。一方、遺族としては、ただ悲しみの中で終わらせるのではなく、「次に生かす」という意思をもとに行動していることが伝わります。
■ 災害時の現場対応に求められる視点とは
自然災害は予測が難しく、不確実な状況の中で判断を強いられる場面が多くあります。しかし、現場に出向く警察官、消防隊員、自衛隊員、医療従事者など「市民の安全を守る人々」が安全を確保しながら任務を遂行できる環境を整えることは、行政側の重要な責務と言えるでしょう。
災害対応には迅速さが求められる一方で、「職員の命を守る」という視点が常に軸にあるべきです。適切なマニュアルの整備、安全基準の見直し、対策の更新、研修の充実といった取り組みが、その実現には不可欠です。
そして何より、災害対応という国家的課題において、後方で判断を下す管理部門が、現場の実情を深く理解して判断を下せるような仕組みづくりが求められています。
■ 命を守る取り組みを共に考える
増田さんのように、災害現場や緊急事態で誰かの命を守るために日々奮闘している公務員たちは、私たちが安全に生活するために不可欠な存在です。私たち市民一人ひとりが、災害への備えや地域の防災意識を高めるとともに、現場で働く人々に対する理解と支援を深めていくことも重要です。
今回の訴訟は、単に「県の責任」を問うものではなく、「命を守るための体制をより良いものにする」という願いが込められています。そうした観点から、すべての関係者がこの訴訟を機に「何を見直すべきか」「どのように改善できるか」を考えていくことが求められています。
■ 最後に:遺された言葉を胸に
この記事で紹介した増田純也巡査部長の殉職は、その行動が尊敬に値するものであると同時に、命を落とす必要がなかったのではないかという疑問も投げかけています。
大規模な自然災害が頻発する日本において、同じような悲劇を繰り返さないこと、それが遺族の願いであり、社会全体の責任でもあります。私たち市民も、災害という避けがたい現象に対して、共に備え、共に支え合う心を持ち続けることが重要です。
「どうして息子が死ななければならなかったのか」
その問いに正面から向き合うことで、失われた命が未来につながる礎となることを願ってやみません。