世界のホームラン王・王貞治さんが語る「特別な存在」長嶋茂雄氏への思い出
野球というスポーツが多くの人の心を打つ理由は、その中に人間ドラマが凝縮されているからではないでしょうか。偉大な選手たちが残した記録やプレーだけでなく、彼らの背後にある人間関係や生き様までもが、人々の記憶に永く刻まれます。2024年6月、国民的スターであり、「ミスター・ジャイアンツ」として親しまれる長嶋茂雄さんが86歳の誕生日を迎えたことにあわせて、同じ時代を生き、時に競い合い、時に支え合った盟友・王貞治さんが語った言葉が、多くの野球ファンの胸を打っています。
王さんにとって、長嶋さんは「特別な存在」——それは、単なる讃辞を超えた、深い友情と尊敬の言葉でした。
球史に名を刻む二人の巨星
王貞治さんと長嶋茂雄さん。この二人の名前を知らない野球ファンはほとんどいないでしょう。テレビが一般家庭に普及し始めた昭和の時代、多くの子供たちがテレビの前で、あるいはラジオを片手に彼らのプレーに夢中になりました。
王さんと長嶋さんが同じチームでプレーしたのは、読売ジャイアンツにおいて。1965年から1974年までの10年間、この二人はクリーンアップを担い、ジャイアンツのV9(9年連続日本一)という前人未踏の大記録を打ち立てました。背番号1の王さんと、背番号3の長嶋さん。二人合わせて「ON」と呼ばれ、時代そのものを象徴する存在でした。
王さんはホームラン868本という世界記録を持つ伝説のスラッガー。一方、長嶋さんは勝負所での劇的な一打や華やかなプレースタイルで観客を魅了し、野球だけでなく、日本のポップカルチャーの象徴とも言える存在となりました。
ライバルであり、心の友である
長嶋さんの86歳の誕生日に際して行われたインタビューで、王さんは「長嶋さんは僕にとって特別な存在」とコメントしました。その言葉には、昭和・平成・令和と、長きにわたる二人の関係の深さ、そこに流れる時間の重みがにじんでいました。
「我々の現役時代、ミスター(長嶋さん)は常に全力で、グラウンドで輝いていた。自分がまだ若く、自信を持てなかった頃、隣りにミスターがいてくれることで勇気をもらえた」と、王さんは当時を振り返っています。
また、試合中や遠征先でのふとした会話、美味しいものを食べながらの食事、そして夜のホテルで語り合った夢。当時の読売ジャイアンツで過ごした何気ない日々の中に、深い絆が確かに育まれていったのです。
野球の技術だけではなく、人間性においても互いに多くを学びあったという二人。決してお互いの存在が「当たり前」ではなく、「かけがえのない存在」だったと言えるでしょう。
時を超え、なお続く絆
長嶋さんは2004年に脳梗塞で倒れ、以降、療養生活を続けています。その姿を見守り続ける王さんは、病を乗り越えて懸命にリハビリに励む友の努力を敬愛し、「いつかまたグラウンドで一緒に立てる日が来ることを信じている」と語ります。
この誕生日のメッセージにおいても、「ミスターが今も頑張っている姿が、私たちに勇気を与えてくれている」と王さんは述べています。たとえ片方が困難な道を歩んでいても、その存在自体が互いを支えている——それが長年を共にした盟友の証なのでしょう。
また、王さん自身も幾度となく病に打ち勝ち、今もなお後進の育成に力を注いでいます。二人の生き様を見るだけで、現在を生きる私たちも大きな力をもらえるのではないでしょうか。
ONはいつまでも伝説
かつてON時代をリアルタイムで見た人も、映像や記事で後から知った人も、王貞治さんと長嶋茂雄さんの名に胸を熱くする理由は、それが単なる成績や記録だけではなく、「人と人との絆」や「努力」「挑戦」「情熱」といった、普遍的な価値を体現しているからだと思います。
彼らが背負っていたユニフォーム、放ったヒットやホームラン、それ以上に、ベンチでの笑顔や試合後の握手といった仕草が私たちに多くを教えてくれる——それが今もなお語り継がれる理由でしょう。
王さんと長嶋さん、「ON」は永遠に我々の記憶の中でプレーを続けています。野球が好きな人にとっても、そうでない人にとっても、二人の友情とひたむきな姿勢は、どの時代にも通じる「生きる力」の象徴となっているのです。
そして、長嶋さんの86歳という節目の日に、王さんが贈った「特別な存在」という言葉は、日本中の野球ファンだけでなく、多くの人々の心に深く響いたに違いありません。
このような関係が一人でも多くの人々の心に灯り、周囲との関わり方や生き方について改めて考えるきっかけになることを願ってやみません。今後も二人には健康に気をつけ、穏やかな日々を送っていただきたいものです。どんな時代にも、人の心を動かすのは、やはり「人」なのですから。