近年、日本の歯科医療の現場で不可欠な存在である歯科技工士の急激な減少が報じられ、関係者や患者、そして医療制度全体へも影響が懸念されています。2024年5月の報道では、「異常な低賃金」という言葉で表現されるほど、歯科技工士の待遇が深刻な状況にあることが明らかになりました。本記事では、歯科技工士の現状を掘り下げ、その背景にある構造的な課題、そして将来に向けた展望について考察していきます。
■ 歯科技工士とは何をする仕事か?
まず、歯科技工士の役割について簡単に触れておきましょう。歯科技工士は、歯科医師の指示に基づき、義歯(入れ歯)やクラウン(被せ物)、ブリッジ、マウスピースなどの歯科補綴物を製作する専門技術者です。この作業は高い専門知識と集中力を必要とし、根気強く細やかな手作業が求められます。口腔の機能を回復し、患者の生活の質を向上させるという非常に重要な役割を担っています。
しかし、この重要な仕事が、今や存続の危機に瀕しています。
■ 歯科技工士の数が激減している現実
報道によると、2022年時点で歯科技工士は全国で約3万人。ピーク時の1990年代前半には約6万人が在籍していたことを考えると、その数はおよそ半数にまで減少しています。年々技工士の数が減っている背景には、「異常な低賃金」とも言える職場環境が深く関わっています。
平均的な歯科技工士の年収は、長時間労働を強いられるにも関わらず300万円を下回るケースも珍しくなく、若者にとって魅力的とは言えない状況です。厚生労働省のデータでは、経験年数が長くても収入の増加に限界があり、専門職に求められる責任や技能とのバランスが取れていない現実が浮き彫りになっています。
■ 技術者が減ることで患者に及ぶ影響
歯科技工士の減少は、歯科医療の提供体制にも影を落とし始めています。たとえば、義歯や補綴物の納品に時間がかかるようになり、患者が治療を終えるまでに必要以上に時間を要するケースが増加しています。また、技工所自身が閉鎖に追い込まれる例もあり、歯科医院側が外部委託先を見つけられないという問題にも直面しています。
さらに、技工士不足により、海外製品への依存や簡易的な製品で代替するケースも増えているとされており、医療の質や安全性に関わるリスクが懸念されています。
■ なぜここまで低賃金が放置されてきたのか?
この問題の根本には、歯科技工物に対する保険報酬の仕組みがあります。日本の医療費は国が厳しく管理しており、歯科技工物に支払われる報酬も例外ではありません。そのため、歯科医院から技工所に支払われる金額は非常に抑えられており、そこから従業員への給与を十分に確保することが困難なのです。
一方で、歯科医院側の経営も容易ではなく、歯科医院自身が技工所に十分な報酬を払えないという側面もあります。これは一種の“負の連鎖”とも言え、関係者すべてが厳しいジレンマに陥っている状況です。
■ 若者の志願者減少と高齢化の波
若者からも歯科技工士という職業が敬遠されている現実があります。多くの養成校で志願者が激減しており、募集定員を満たせずに閉校するケースも相次いでいます。なぜなら、苦労の割に報われないという悪評が広がっており、手に職をつけたい若者にとって魅力あるキャリアとは受け止められにくいのです。
また、現役の技工士の約4割が50歳を超えており、高齢化も深刻です。このままでは、10年後、20年後には技工物を安定提供できる体制そのものが立ちゆかなくなる恐れがあります。
■ 解決に向けた取り組みと今後の展望
こうした状況を受けて、国や関係団体も対策を急いでいます。補綴物に対する保険点数の見直しをはじめ、技工士への評価を適切に反映する制度改革が検討されています。また、テクノロジーの導入により、CAD/CAMといったデジタル技術を活用することで、作業の効率化や品質の安定化を図る動きも広がっています。
加えて、養成校や業界団体による職業啓発の取り組みも始動しています。「ものづくりが好き」「医療に携わりたい」といった若者に対し、この仕事の意義とやりがいを伝え、人材確保に努める方針です。
■ 私たちにできること
このような社会的に重要な職業が存続の危機にある今、私たち一人ひとりも無関心ではいられません。患者として適切な医療を受けられる環境を守るためにも、医療従事者に対する公正な評価とサポートが必要です。
また、歯科医療に対する認識や価値観を見直すことも求められます。口腔の健康は全身の健康にもつながる重要な要素であり、その基盤を支えている職種の仕事や待遇について、もっと広く社会的な理解を深める機会が必要です。
■ おわりに
歯科技工士の激減という問題は、単に一つの職業の減少にとどまらず、日本の歯科医療の未来に直結する重大なテーマです。「異常な低賃金」という言葉に表される現在の課題を放置すれば、いずれは私たちすべての生活や健康に影響を及ぼすことになります。
この問題を単なる業界の問題と捉えず、社会全体で支え、解決していく視点が求められています。歯科技工士という職業に光を当て、その尊さを認め合う社会を目指して、今こそ一歩を踏み出すときかもしれません。