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見えない傷痕と声なき被害者たち──今も続く新潟水俣病の真実

2024年、新潟水俣病の被害実態に新たな焦点が当てられました。「新潟水俣病 見えない被害の全容」と題された報道では、認定患者数や目に見える被害以上に、長年取りこぼされてきた“見えづらい被害者”の存在、不十分な救済の枠組み、地域社会全体に及ぶ長期的な傷痕について深く掘り下げられています。今回は、この報道を通じて見えてきた新潟水俣病の問題の背景、現状、そして私たちにできることについて整理してみたいと思います。

新潟水俣病の発生とその背景

新潟水俣病は、1965年に新潟県阿賀野川流域で公式に確認された公害病です。原因は、化学メーカーの昭和電工鹿瀬工場から排出された有機水銀化合物が、阿賀野川の水系を通じて魚介類を汚染し、それを摂取した住民が水銀中毒に陥ったものでした。

本来、工場排水に含まれる有害物質は適切に処理されなければならないものですが、当時はその体制が不十分で、多くの住民が「気づかぬうちに」被害を受け、症状が現れた時にはすでに深刻な状態となっていたのです。

公式確認から約60年が経った今もなお、水俣病の影響は消えたわけではありません。特に問題となっているのが、行政の救済制度において“見逃されてきた患者たち”の存在です。

「目に見えない被害」とは何か

新潟水俣病の症状は、多くの場合、中枢神経系に影響をおよぼすもので、手足のしびれやふるえ、味覚や聴力の異常、視野狭窄などがあります。しかし、こうした症状は人によって程度が異なり、軽度な場合には日常生活に突然の支障が出るものではないこともあります。さらに、年齢の高齢化により、症状が加齢によるものと混同されるケースも多く、「水俣病による影響だと認識されないまま」生活を送っている人も少なくありません。

今回の調査報道では、実際に水俣病と似た症状を訴えながらも、認定されずに苦しむ人々の声が多く取り上げられていました。医師が明確に水俣病の可能性を否定しなかったにも関わらず、国や自治体の救済基準に満たないとして申請が却下された事例や、「諦めてしまった」当事者の話からは、単なる制度上の問題だけでなく、被害に対する“不可視化”が深く根付いている現状が浮かび上がります。

補償されない声と時間との戦い

2023年末時点で、新潟水俣病としての認定患者数は約700人。しかし、実際には何らかの水銀被害が考えられる住民はそれを大きく上回るとみられています。2012年から始まった「第二次救済制度」では、疾患が軽度であっても一定の補償を受けられるようになっていましたが、それでも救済対象者とされる条件は厳しく、十分とは言えません。

また、申請手続き自体が煩雑であることや、高齢で通院が難しい、情報の入り口が限られているといった理由から、申請を断念する人も少なくないのが実情です。

それに追い打ちをかけるように、被害者となり得る対象者は年々高齢化しています。かつて水銀に汚染された水系に暮らしていた人々は、今では多くが80代以上。申請のために必要な証拠や医師の診断書を集める時間も限られています。補償を受けるべき人々が、“そのまま声を上げることなく人生を終えてしまう”という現実も重くのしかかっています。

地域社会全体に残る傷

今回の報道で注目される点の一つが、健康被害だけではなく、地域社会全体が抱える傷にも言及していることです。水俣病が発生した地域では、当事者だけでなく地域住民の間にも分断が生まれました。被害者であることが知られることで差別や偏見を受けることを恐れ、病状を隠して生きてきた人も少なくありません。

「昔は魚が取れなくなった」「誰が本物の患者なのか、村の中で噂になっていた」といった住民の証言は、被害が単なる個人の健康被害にとどまらず、社会的・心理的側面にも及んでいたことを示しています。

こうした地域コミュニティへの影響や、長年にわたる心の傷に対する支援は、残念ながらこれまで十分に行われてきたとは言えません。物理的な補償のほか、精神的なケアや地域再生のための取り組みへの支援も、今後の課題として浮かび上がっています。

未来に向けて必要な取り組み

新潟水俣病は、私たちが過去から学ぶべき重要な教訓を多く含んでいます。まず第一に、公害によって引き起こされた被害を“事後的に認識する”だけではなく、“予防的に管理する”という姿勢が必要です。これは新たな産業開発や再開発においても同様で、経済的利益の陰に潜むリスクに対して慎重な検証を行う風土が求められます。

また被害を受けた可能性のあるすべての人に対して、包括的かつ柔軟な救済の枠組みを用意することも不可欠です。新潟水俣病では、「被害が証明されなければ補償しない」というスタンスが長らく根強く運用されてきましたが、これは結果として多くの人を補償から排除してきたことにもつながりました。被害を可能性として捉え、当事者の生活実態に寄り添うような制度設計が求められています。

さらに言えば、公害問題は被害者と加害者という二項対立で語られるのではなく、社会全体の構造や価値観を問い直す契機にするべきです。環境や地域資源とどのように共生していくべきなのか、そのために何を優先し、どんな責任を共有するのかを考える中で、私たち一人一人が関与する意識を持つことが重要です。

さいごに

新潟水俣病は、一見過去の出来事のように語られがちですが、実際には今も続く“現在進行形の問題”です。今回明らかになった「見えない被害の全容」は、公害とは何か、補償とは何を意味するのか、社会全体がどのように向き合うべきかといった本質的な問いを私たちに投げかけています。

一人ひとりがこの問題を自分とは無関係な“どこかの話”としてではなく、自分の暮らす社会で実際に起こった重大な出来事として捉え、記憶にとどめ続けることが、公害の再発防止にもつながります。そして、声を上げにくい人々の存在に目を向け、誰もが安心して暮らせる社会の実現に向けた第一歩となるのではないでしょうか。