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「“こども食堂”を生んだ人、静かなる引退――原点を紡ぎ未来へつなぐ食卓のバトン」

「こども食堂名付け親 一線引く決意」

近年、日本全国に広がりを見せている「こども食堂」。この活動は、食事を通じて子どもたちや地域住民のつながりを育み、孤立や貧困などの社会的課題に対して市民の力で立ち向かおうとする試みです。そのシンボルとも言える「こども食堂」という名称を初めて使用した言わば“名付け親”が、18年間関わってきたこの活動の第一線から身を引く決断をしました。

活動の原点:一膳めし屋「気まぐれ八百屋だんだん」

東京・大田区に位置する「気まぐれ八百屋だんだん」は、2006年にオープンした小さな八百屋であり、その奥に10席程度の小さな食堂スペースも備えています。店を運営してきたのは、近藤博子さん(当時60代)。彼女は地域のコミュニティ活動に深く関わり、「子どもたちが一人でごはんを食べないように」との思いから、この店を開きました。

食堂を始めた当初は「大田のおばちゃんち」と称していましたが、広く親しみを持てる名称が必要と考え、「こども食堂」と命名。それは特定の支援対象に限定せず、誰でも来られるような開かれた空間を築く中で、自然に広がっていったものでした。

18年間で進化した「こども食堂」

「こども食堂」という言葉が生まれて以来、この取り組みは日本中に着実に広がっていきました。多くは地域のボランティアや団体、市民が立ち上げ、食材の寄付や地元企業の支援によって成り立っています。「だんだん」もそうした末端の一つでありながら、その中心的な存在として、他のこども食堂を立ち上げる支援も行ってきました。

2023年時点で、全国には7000か所以上のこども食堂があると言われています。それぞれが独自の運営方法を持ちながらも、共通しているのは「すべての子どもたちに、あたたかい食事と居場所を提供する」という理念です。

しかし、この「こども食堂」という言葉が広く知られるようになるにつれ、その在り方や使い方についても議論が交わされるようになります。企業のPRや政治的アピールに利用されるケースも増え、創設当初の思いが形骸化しつつあるとの懸念もありました。

「こども食堂」の強さと弱さ

「気まぐれ八百屋だんだん」は、地域のボランティアや食材提供者を中心とした「顔の見える支援者」の輪によって支えられてきました。しかし、18年間の長い年月を経た中で、社会情勢の変化、関係者の高齢化、そして活動そのものの注目と拡大が、運営する近藤さんのなかで一つの「疲れ」に繋がっていったとも言います。

「こども食堂」と一口に言っても、そのかたちは様々です。子どもだけに限定せず、大人や高齢者も交えた「地域食堂」としての機能を持つもの、定期開催や毎日運営するもの、学校や行政と連携しているもの、完全な市民活動として行っているものなど、多種多様なかたちが存在しています。

しかし、その中で一貫して問い続けられてきたのが、「誰のために」「何のために」こども食堂を営むのか、という原点の想いです。近藤さんはその点に非常に敏感で、「名ばかりの居場所」ではなく、「心が交わる食卓」でなければならないと語っていました。

第一線からの決断と後進への想い

そんな中、近藤博子さんは18年続いた自身の活動に一区切りをつけ、一線を退くという決意を表明しました。2024年5月、店舗の営業を最終とし、地域の方や利用者たちに見守られながら静かにその幕を下ろしました。

彼女が下したこの決断には、単なる疲労や年齢的なものだけでなく、「こども食堂」が今後も変わらぬ理念を保ったまま続いてほしいという願いと、「次の世代にバトンを渡す」ために必要な行動としての意味も込められているように感じられます。

こども食堂の黎明期からその広がりを見守ってきた立場だからこそ、「一線を引く」という選択には重みがあります。同時に、それは他の運営者たちや支援者たちへ「これからも自分たちで考え、支え合うこと」の重要性を伝える思いにも受け取れます。

今後のこども食堂に求められること

近藤博子さんの「卒業」は、ある一つの時代の終わりを示すと同時に、新たな時代の始まりでもあります。全国各地に広がったこども食堂は、今や無数の「名もなき運営者」たちに支えられています。彼らがそれぞれの地域で、子どもたちに温かいごはんと安心できる時間を提供していく―そんな地道で優しい営みが、社会全体を優しく包む力になると信じています。

また、こどもたちに限らず、地域のさまざまな人々が「助ける側」「助けられる側」という二項対立ではなく、「支え合う仲間」として関われる場が、社会に求められています。こども食堂はその実現へのヒントを、私たちに与えてくれる存在です。

たとえ名付け親である近藤さんが第一線から退いたとしても、その精神は多くの場所に生き続けています。大切なのは名称ではなく、その場所にどんな想いが息づいているのか、どんな人たちが関わっているのかです。

これから私たち一人ひとりができること

日々の生活の中で、食べきれない野菜を誰かに分ける、使っていない台所を記憶の残る食卓にする、隣人に「今日、ごはん食べた?」と声をかける。そのようなちょっとした気遣いが、実はこども食堂の精神そのものなのかもしれません。

こども食堂の「名付け親」が一歩退いた今、私たちひとりひとりが“見えない名付け親”として、暮らしの中に「こども食堂的なもの」を残し、育てていく役目を担っています。

近藤さんの18年間の歩みに敬意を表しつつ、今後も地域に根ざし、心でつながる食卓が全国各地で灯り続けることを願ってやみません。