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袴田事件に見る冤罪の代償――政府初の謝罪が突きつけた司法の課題

2024年3月27日、冤罪事件として長年社会的な関心を集めてきた「袴田事件」に関連し、政府の姿勢が一つの転換点を迎えました。鈴木俊一法務大臣が袴田巖(はかまだ いわお)さんの姉・袴田ひで子さんに対し、「長年にわたり拘束されたことにより、多大な苦痛と苦難を強いられたことに心からお詫び申し上げる」と謝罪したのです。

これは、約60年におよぶ長い歳月を経て、冤罪の被害者本人とその家族に対する初めての明確な「謝罪」の表明となり、社会全体にも大きなインパクトを与えました。

本記事では、この歴史的な謝罪に至るまでの経緯と、今なお検証され続ける日本の司法制度の課題について、分かりやすくご紹介いたします。

■「袴田事件」とは? 〜冤罪事件の象徴〜

「袴田事件」とは、1966年に静岡県で起きた一家4人の殺害および放火事件に関して、元プロボクサーの袴田巖さんが犯人として逮捕・起訴され、1980年に死刑が確定した事件です。袴田さんは、捜査段階での厳しい取り調べや証拠の信ぴょう性に疑義があり、長年にわたって冤罪の可能性が指摘されてきました。

確定判決後も、宗教団体や支援団体、弁護士や研究者らが再審(裁判のやり直し)を求めて活動を続けました。その努力が実り、2014年には静岡地方裁判所が再審開始を決定し、袴田さんの拘束は実に48年ぶりに解除されました。その時点ですでに袴田さんは78歳となっており、精神的な影響も大きかったと報じられています。

再審が改めて行われた結果、2023年には静岡地裁が有罪の根拠となった証拠の信頼性に疑いを示し、「合理的な疑いがある」として無罪判決を下しました。現在、その判決に対して検察が上訴していないため、実質的に無罪が確定した形となっています。

■姉・ひで子さんの支えと献身

袴田さんの長い拘束期間中、最も近くで支え続けたのが、実の姉である袴田ひで子さんです。事件後も一貫して弟の無実を訴え、全国を行脚し支援を呼びかけたり、裁判のたびに陪審席で見守り続けたりと、親族として・支援者として心身共に尽力してきました。

そして2024年3月27日、鈴木法務大臣が法務省で開かれた記者会見において、はじめて政府の立場からこう述べました。

「(袴田巖さんは)拘置作業の中で実際に苦しい生活を強いられた。長年にわたる拘束があったことは事実であり、多大な精神的・肉体的苦痛を受けられた可能性がある。それに対し、心からお詫びを申し上げる」

また、支援活動を担ってきた袴田ひで子さんや関係者に対しても、「ご苦労されたことに敬意を表したい」と謝意を述べています。このように明確な言葉で過去の不正義に対する謝罪を行ったのは、極めて稀なことであり、今回の発言の意義は大きいといえるでしょう。

■法務大臣の謝罪の意味とその影響

こうした公式謝罪には、被害者本人や家族に対する心の癒しだけでなく、今後の司法制度を見直す契機としての役割も期待されます。これまで日本では、一度確定した判決を見直す『再審制度』に関して高いハードルがあり、「冤罪が確実視されても再審が認められない」という声が多く寄せられてきました。

今回の事件を通じて見えてきたのは、これまで十分に確保されてこなかった捜査や裁判の「透明性」、そして無実の可能性が浮上したときの「対応のスピード」に対する社会的な疑念です。

現在でも、日本には再審制度に明確な期限や手続きの簡素化がなく、再審請求の取り下げや繰り返される棄却などが、冤罪被害者の再起を妨げる要因となっています。今回の袴田事件が一つのモデルケースとなることで、冤罪防止のための制度改善がさらに進むことが期待されています。

■再発防止に向けた取り組みへ

今回の謝罪表明を受けて、多くの市民・メディア・法律関係者からは「制度改革を促す一歩」として高く評価する声が寄せられました。

現在、法務省や最高裁判所を中心に、冤罪防止のための取り調べ録音・録画の義務化、捜査機関に対する第三者機関の設置、再審制度の見直しが議論されています。

また、日常的に接することのない「刑事裁判」に対する市民の関心を高めることも、冤罪を許さない社会づくりには不可欠です。一人ひとりが冤罪の現実を知り、司法の在り方について考えることが、今後の社会をより公平で透明なものにしていく力になるのです。

■おわりに 〜公正な司法への第一歩〜

司法の世界では、「一度有罪が確定すれば動かせない」という考え方が強く存在しています。しかし、その影で人知れず苦しみ続ける人たちがいることを、袴田巖さんの事件は如実に浮かび上がらせました。

冤罪の深刻さと救済制度の重要性を認識することは、被害者の尊厳を守るだけでなく、私たち自身がいつでも当事者になり得るという視点を持つことにつながります。

鈴木法相の謝罪は、過去の過ちに対する誠実な対応として歓迎されるべきものです。そして今後、同様の過ちを繰り返さないためにも、制度の整備と国民の司法リテラシーの向上が求められています。

袴田さん、そして支援を続けたひで子さんの長きにわたる闘いは、冤罪による不条理に対し、人としての尊厳を守ろうとする努力の象徴的な出来事です。その痛みを風化させることなく、未来にどういかしていくか──私たち一人ひとりに問われている課題といえるでしょう。