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被爆者9万9,000人の時代へ──語り継がれる記憶と、私たちに託された平和のバトン

2024年3月、厚生労働省は、広島・長崎の被爆者健康手帳の交付者数が2023年度末時点で約9万9,000人程度になる見込みであると発表しました。この数字は、制度創設以降で初めて10万人を下回る見通しであり、日本にとって、世界にとって、そして私たち一人ひとりにとって、大きな意味を持つ節目となります。

被爆者の平均年齢は86歳を超え、高齢化が急速に進む中、毎年のように交付者数は減少しています。かつては30万人を超えていた被爆者健康手帳の保有者は、時間の経過とともに少しずつその数を減らしてきましたが、「10万人を下回る」という事実は、被爆体験を語り継ぐ方々が確実に少なくなっている現状を私たちに突きつけます。

戦後79年が経つ今、被爆者と直接接する機会が少なくなる中で、どのようにして彼らの声を未来につないでいくのか──それは私たちが今、真剣に考えるべき問いです。

広島・長崎の原爆投下という歴史的な出来事は、多くの命を一瞬にして奪いました。そして、その後生き延びた方々も、長きにわたる放射線の後遺症や社会的偏見、心の傷と向き合いながら生きてこられました。被爆者健康手帳は、そのような被爆者の支援を目的として1957年に制度化されたもので、放射線の影響による健康障害に苦しむ人々への医療費助成などが行われてきました。

しかし、制度発足から約70年を経た現在、申請者や交付件数は年々減少しています。高齢化による自然減というのもひとつの要因ではありますが、それに伴い私たちが継承すべき「記憶」や「証言」も、年々失われつつあるのです。

今、私たちができることは何でしょうか。それは単なる数字の変化を受け止めることではなく、その背景にある歴史や苦しみ、そして平和への願いをもう一度自分の中に取り込むことです。

憲法に掲げられた恒久平和の理念。非核三原則。国連における核軍縮の議論。そして、広島・長崎で今もなお語り継がれている「被爆体験の風化を防ぐ努力」。これらすべては、被爆者が声を上げ続けてきたからこそ世界に波及してきたとも言えます。

被爆者の方々は、ただ自身の体験を語るだけではなく、自らが二度と繰り返してはならない歴史の証人として、核兵器の非人道性とその破壊力を多くの人々に訴えてこられました。「ヒロシマ・ナガサキを最後にする」との想いを語ること。それは、決して過去のものではなく、これからを生きる私たちへのメッセージそのものなのです。

もちろん、直接被爆者の方から話を聞く機会というのは今後さらに稀少になっていくでしょう。しかし、だからこそ、新たな方法が求められています。

たとえば、被爆者の証言をアーカイブの形で保存する映像資料や音声記録、書籍の活用。教育の現場における平和学習の充実。現代のテクノロジーを活用したバーチャル体験やオンライン資料館など、若い世代にも身近に感じてもらえるような取り組みがますます重要になってきます。

また、地域レベルでの被爆体験を語り継ぐワークショップや展示会、平和イベントなども一つの鍵です。被爆の記憶を地域社会が共有し、次の世代へ自然と受け継がれていくような土壌づくりが、今こそ急がれるのです。

もうひとつ、忘れてはならない視点があります。それは「共感」する力です。

被爆体験というのは、自分が経験していない以上、完全に理解することは難しいかもしれません。しかし、体験を知り、感情を共有することで生まれる「共感の輪」は、世代や国境を越えて広がっていきます。他人の痛みに目を向けること、それを決して風化させないよう努力することこそが、平和を希求する社会における責任とも言えるのではないでしょうか。

国内外のニュースでは、今なお多くの紛争や核の脅威が取り上げられています。そんな中だからこそ、被爆者の残したメッセージの価値は一層高まります。一発の爆弾が人々の人生を根底から壊し、家族や街の景色、そして希望までも奪った現実。そうした過去を語り継ぐことは、単なる歴史の授業ではなく、今を生きる私たちがよりよく未来を築くための道しるべになるはずです。

誰もが平和な生活、災害や戦争のない日常を望みます。その当たり前の願いを確かなものにするために、「平和を訴える声」を決して絶やしてはいけません。

10万人を下回ったという数字は、「終わり」ではなく次のフェーズへの「始まり」かもしれません。被爆者から託されたバトンは、今まさに私たちの手の中にあるのです。どう持ち、どうつなぐか。それを問われているのは、今を生きる私たち一人ひとりです。

静かに刻まれる被爆者の数の減少は、時代の流れの中で避けることができない事実です。しかし、それに対して何もせずに見過ごすのではなく、被爆者の歩んだ道に思いを馳せ、その意志を引き継ぐ行動を起こすことが、私たちが実現できる平和への最も確かな一歩ではないでしょうか。

2024年という節目の年に、改めて「核なき世界」「戦争のない未来」に思いを馳せるとともに、過去から学ぶ責任、未来へ語り継ぐ覚悟を共に持って進んでいきたいものです。