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「まだ食べられるのに“餌扱い”?——見直されるべき日本の備蓄米制度とその行方」

昨今、世界情勢の変化や災害への備えの重要性が再認識される中で、日本の「備蓄米」に関する議論が注目を集めています。2024年4月24日、国会で行われた質疑において、国民民主党代表・玉木雄一郎氏が「政府が備蓄している米が1年経つと“飼料”として活用されている」という実態を指摘し、その用途のあり方や制度の再検討の必要性を訴えました。本記事では、玉木氏の指摘する問題点をもとに、日本の備蓄米制度の現状と課題、そしてこの問題に私たち市民がどのように向き合うべきかを考えていきます。

■ 備蓄米とはなにか?

まず、備蓄米について簡単に説明しておきましょう。日本政府が行う「政府備蓄米」とは、主に災害や緊急時に供給が滞った際の食料供給を安定化させるために保存されているお米のことです。食料安全保障の観点から政府が国民のために準備しているもので、農林水産省などが管理しています。

毎年一定量の国産米が買い上げられ、一定期間保存された後、入れ替えのために古くなった備蓄米は放出されます。この放出分は、安価に販売されたり、家畜用の飼料に転用されたりします。まさに今回、玉木氏が問題視したのがこの「備蓄米の飼料化」でした。

■ 1年で「餌扱い」――玉木氏の問題提起

玉木氏の主張によると、現在、日本では国が主に食料安全保障のために備蓄している米が、わずか1年保管された後には「飼料」として処理されているとのこと。この事実に対し、彼は「まだ人が食せる状態でありながら、なぜすぐに飼料にしてしまうのか?」という疑問を呈しました。

もちろん、一定期間が経った米は風味が落ちるなどの理由から商品価値が下がるとも言われています。しかし、懸念されるのは、そのような米が大量に飼料として処分されている一方で、物価高騰や生活困窮者の増加といった社会問題が深刻化しているという現実です。その状況下で「まだ食べられるお米がなぜ人の口に入らないのか」という玉木氏の問いは、多くの国民の共感を呼んでいます。

■ 無駄とするのか、有効活用するのか

この問題は、単にお米の品質や保存期間の話だけにとどまりません。現在、物価の上昇、そして食料品の価格高騰により、多くの家庭が生活のやりくりに苦心しているのは事実です。特に、食育や栄養に配慮が必要な子育て世代、高齢者世帯、生活保護受給者、ひとり親世帯などは、わずかな支援が生活の質に大きく関わります。

そのような現状を鑑みると、備蓄米が飼料にされるよりも、例えば学校や福祉施設、フードバンクなどに供給されることで多くの人々の命と生活を支える支援となりうるのではないか、という議論が自然に生まれてくるのです。

■ 技術と仕組みの見直しで新たな可能性を

確かにお米は、生鮮食品よりも日持ちするとはいえ、保存や品質に課題があると言われがちです。しかし、技術の進歩によって、真空パックや低酸素保存などの手法によって、かなり長期間おいしく保存できるようになっています。また、それらを加熱加工品や米粉などに変換することで、さらなる消費の活路を見出すことも可能です。

実際に、民間では少し古くなったお米を「訳あり商品」として販売する「フードロス削減型」ビジネスの成功例もあります。国でもこのようなアイデアを採り入れて、従来の飼料化だけでなく、社会福祉やフードロス削減につながる仕組みに取り組むことが期待されます。

■ 災害時に本当に活用されているのか?

さらに問題とされるのは、この備蓄米が本来の目的である「災害時」に本当に活用されているのか、という声です。2024年元日に発生した能登半島地震の際、被災地への備蓄米の供給が迅速に行われた形跡が乏しいとの指摘もありました。必要な場面で迅速に供給できないのであれば、備蓄の意味も問われざるを得ません。

市民の側でも、日ごろの防災意識を高めつつ、もっと安心できる仕組み作りが求められます。特に備蓄と流通の「見える化」が進めば、国も自治体も市民も災害時に適切な対応ができるようになることでしょう。

■ 市民として考えるべき「もったいない」の意識

日本には「もったいない」という素晴らしい価値観があります。環境への配慮、命への感謝、そして資源の有効活用を表すこの精神は、過剰消費の抑制とフードロス削減に大きなヒントを与えてくれます。備蓄米が1年で「飼料扱い」となるとすれば、「食べ物を粗末にしない」文化とどこか矛盾するように感じる方も多いでしょう。

だからこそ、私たち市民もこの問題にしっかりと向き合い、「ただ目の前の結果だけを見て終わりにせず、仕組みの改善を提案したり、声を上げることができる」社会参加の姿勢が大切です。制度を変えるのは難しいことかもしれませんが、議論を起こすことは誰にでもできます。

■ おわりに

玉木雄一郎氏による「備蓄米が1年で飼料扱いされている」という発言は、私たちが普段は見落としがちな重要な問題を再発見させてくれるきっかけになりました。お米が「ただのモノ」ではなく、努力と環境、大地の恵み、そして未来への備えであることを再認識し、消費と供給のあり方について改めて考える機会としたいものです。

政府、自治体、民間、そして私たち市民が力をあわせて、備蓄米をもっと有意義に、有効に活用できる未来を築いていけるよう、それぞれの立場でできる一歩から始めていきましょう。

— 完 —