昭和の笑いを支えた名コンビの一人、漫才師・昭和のいるさんが2024年6月22日、慢性心不全のため都内の病院で亡くなりました。享年88歳。戦後の混乱期からテレビ・舞台・ラジオといった様々なメディアを舞台に、長年日本のお茶の間に笑いと温かさを届けてきた彼の逝去に、多くのファンや芸能関係者、そしてお笑い界から惜しむ声が上がっています。
今回は、「昭和のいる・こいる」の名コンビで活躍した昭和のいるさんの功績やその人柄、残された笑いの足跡を振り返りつつ、彼が日本の文化や社会に与えた影響について考えていきたいと思います。
昭和のいるさんの軌跡
昭和のいるさんは本名を橋本利行さんといい、1935年に東京で生まれました。高度経済成長期を迎えつつある激動の昭和に育ち、やがて芸人としての道を志します。東京を拠点に活動を続け、落語協会にも所属していた経歴を持つなど、本格的な話芸・伝統芸への理解と実力も兼ね備えた人物でした。
彼が一躍脚光を浴びるようになったのは、「昭和のいる・こいる」という漫才コンビを結成して以降のことです。二人は1960年代から舞台に立ち、以後、日本全国で演芸番組や寄席で活躍。特にその掛け合いのテンポとやりとりの間合い、「言葉」への洗練された感覚は多くの人々に愛されました。
「昭和のいる・こいる」の魅力
昭和のいる・こいるの漫才の特徴は、落語に近い話芸の構成と、古き良き昭和の風情を感じさせる語り口調にあります。ドタバタしたコントや過激な演出ではなく、日常の中の機微や人間関係の愉快な一面を取り上げ、思わず「あるある」と頷きながら笑ってしまうような安心感のある緩やかな笑いが魅力でした。
また、ふたりは関西のお笑いとは一線を画し、東京で活動を続けた伝統的な「東京漫才」の数少ない継承者としても貴重な存在でした。関西風の速射砲のようなテンポとは異なり、丁寧でゆとりのある語りは、まさしく昭和の”情”と”粋”を感じさせるものでした。
昭和のいるさんは舞台裏でも温厚な人物で知られ、後輩芸人へのアドバイスや声かけなども積極的に行っていたと伝えられています。義理人情に厚く、礼儀を重んじるその姿勢は多くの人々に尊敬されていました。
伝統芸能としての漫才の存在価値
近年では、YouTubeやSNSを通じた新しいお笑いの形が台頭していますが、昭和のいるさんのように伝統的な芸を守り続ける芸人の存在は、時代を超えて多くの人々の心に残る大切な文化です。漫才という形そのものが、世代や時代を超えて人々を結びつける力を秘めており、昭和のいるさんが長年守り続けたその「型」は、若い世代のお笑いにとっても大きな教科書となりました。
また、昭和のいる・こいるは2004年に文化庁芸術祭優秀賞を、2008年には上方演芸の名誉ある賞を受賞するなど、芸の道を真摯に歩み続けた成果が、様々な形で評価されてきました。笑いを単なるエンターテイメントではなく、一つの文化として高めることに尽力した姿勢は、これからも多くの表現者たちに影響を与え続けることでしょう。
晩年まで舞台に立ち続けた昭和のいるさん
高齢になってからも、昭和のいるさんは体力の許す限り舞台や寄席に出演していました。その姿は、多くのファンや後進の芸人たちにとって「芸は命がけの仕事であり、生涯を通して成長し続けるもの」であることを示してくれた模範でもあります。
特に晩年、寄席などの演芸場で披露された彼の漫才は、決して衰えることなく、むしろ年輪を重ねた深みと風格を持って観客の心に染み入りました。その味わい深い話芸の中には、人生の喜びや悲しみ、懐かしさやぬくもりといった、人間らしい感情が凝縮されていたのです。
お別れとともに思い出す「笑いの力」
昭和のいるさんの逝去を知り、多くの人々が悲しみを表す一方で、彼の残した「笑い」や「言葉」は今も色あせることなく、それぞれの記憶の中にしっかりと息づいています。時に辛いことが多い日常の中で、ふとした一言や漫才の一節を思い出して笑顔になれること。その力こそが、彼のような芸人が大切にしてきた”仕事”の意義であったとも言えるでしょう。
また、「笑い」には人と人を繋ぐ力があります。昭和のいるさんが舞台で観客と交わした会話や突っ込みは、一方通行ではなく双方向のコミュニケーションであり、観客一人ひとりの心に届く言葉でした。そうした「人を楽しませることへの真心」が、まさに彼の人生そのものであり、それが多くの人々に支持されてきた理由とも言えます。
今後に受け継がれていくもの
昭和のいるさんが生涯を捧げてきた「漫才」という芸は、これからも形を変えながら若い人たちに受け継がれていくことでしょう。しかし、その根底にある「人を思いやる気持ち」や「笑いを通じて世の中を明るくする」という志は、変わることのない普遍的な価値として、多くの漫才師・芸人たちの原点であり続けるはずです。
また、映像や録音を通じて、彼らの名演が未来の世代にも届けられるのは、デジタル時代ならではの恩恵でもあります。過去の録画や記録から学べることは非常に多く、特に言葉の使い方や間合いといった技術は、教本には載っていない「LIVE」の重みを伝えてくれるものです。
最後に
「昭和のいる・こいる」の昭和のいるさん。88年の人生をかけて「笑い」を届け続けたその背中は、まさに職人であり、文化人であり、生涯芸人でした。心よりご冥福をお祈りするとともに、これから先も彼の残した数々の名舞台が、笑顔とともに語り継がれていくことを願ってやみません。
昭和のいるさん、ありがとうございました。あなたの笑いは、いつまでも私たちの心に残り続けます。