近年、スポーツの現場における誹謗中傷の問題が大きな社会的関心を集めています。中でも、SNSをはじめとしたインターネット上のコメントが、アスリートに深刻な影響を与えている実情が明らかになってきました。2024年6月に報道された日本オリンピック委員会(JOC)による調査結果では、オリンピアンやパラリンピアンの92%が過去に中傷を受けたことがある、あるいはそのような中傷が「深刻な問題」であると認識していることがわかりました。
この記事では、JOCが実施したアンケート調査の詳細とともに、現在のスポーツ界が抱える中傷問題の実態、さらには私たちが今後どのように向き合っていくべきかについて考察していきます。
深刻な中傷の実態 ― 数字が物語る現実
この調査は、JOCアスリート委員会が現役および元選手を対象に2024年2月から3月にかけて実施したもので、約380名が回答に協力しています。そのうち、「中傷や誹謗の経験がある」あるいは「他の選手への中傷を目撃したことがある」と答えた人は9割を超えました。
具体的には、SNSやインターネット掲示板など、誰もが自由に意見を発信できる場において、選手個人の失敗や成績に対して心ないコメントが寄せられ、中には人格を否定するような言葉も含まれていたといいます。
こうした中傷は、競技への意欲や精神的な健康に重大な影響を及ぼすことがあります。中には、誹謗中傷を受けたことでSNSアカウントを削除したり、競技自体から距離を取ることを選ぶ選手もいます。スポーツとは本来、人々に希望や感動を与えるものであり、アスリートはその象徴であるはずです。しかし、そのアスリートたちが今、無責任な言葉に傷つけられているという現実は非常に深刻です。
背景にあるSNSの影響と匿名性
現代社会において、SNSは情報収集や発信、他者とのコミュニケーションなど多くの利点を持つ一方で、その匿名性が無責任な発言や攻撃的なコメントを助長している側面もあります。オリンピックやパラリンピックといった国際的な舞台に立つ選手は、注目を集める存在であるがゆえに、常に世間の評価と向き合わざるを得ません。
試合での失敗や予期せぬ結果に対して、ネット上で非難の声が上がることは珍しくありません。こうした状況は瞬時に拡散され、選手にとって大きなプレッシャーとなっているのです。特に匿名の投稿は、誰にも責任が問われないことから、時に非常に過激な中傷表現に発展します。
心ない言葉が選手の人生を左右する危険性
言葉が人に与える影響は時として命に関わるほど深刻です。実際、国内外問わずSNSでの中傷が原因で精神的に追い込まれたアスリートが自死に至ったケースも報告されています。スポーツ選手も一人の人間です。勝利の喜びや敗北の悔しさ、そしてプレッシャーとの戦いは、一般の人々と何ら変わりはありません。にもかかわらず、その表舞台に立つことで時に「完璧」を求められ、ミスが許されない風潮に晒されています。
それは公人・有名人だから仕方がないという考え方では済まされません。人としての尊厳、個人の尊重という観点からも、このような言葉の暴力に対しては社会全体で見直しを迫られる時機に来ていると言えます。
JOCアスリート委員会による取り組みとは?
こうした中、JOCアスリート委員会は本調査結果を踏まえ、選手の心身を守るためのさまざまな対策を推進する方向性を示しました。まず、「中傷」対策として期待されるのが、SNSリテラシー向上のための研修や情報発信、そして問題発生時の相談窓口の拡充です。
また、パブリックな場での応援や批判に関しても、表現の自由を確保しつつ、相手の人権を尊重する教育が求められています。選手たちも一方的に批判を受ける存在ではなく、社会の大切な一員であり、リスペクトされるべき存在です。JOCは今後、選手自身が自らの体験を語ることで、誹謗中傷の根絶を目指す「啓発活動」にも力を入れていく予定です。
私たちにできること ― 一人ひとりが「言葉の重み」を意識する
SNSが日々の生活に溶け込み、誰もが発信者となる時代だからこそ、私たち一人ひとりが「言葉の重み」と向き合うことが求められています。
選手に対する陰口や非難は、直接的でなくとも誰かの心に深く刺さる可能性があります。その一言が、誰かの勇気を折ってしまうことがあるという事実を私たちはもっと重く受け止めなければなりません。
一方で、選手への応援や激励のメッセージが間違いなく力になるという事実もあります。「よく頑張ったね」「感動をありがとう」といった思いやりある言葉は、選手にとって大きな支えとなります。言葉には人を傷つける力もあれば、人を勇気づける力もあります。だからこそ、私たちが使う一言一言が持つ影響をきちんと理解し、よりよい社会づくりの一助となるような言動を心がけたいものです。
まとめ:スポーツの価値を守るために
「スポーツの力」は、世代や国境を越えて人々に感動と勇気を届ける素晴らしいものです。そしてその背後には、厳しい鍛錬と日々の努力を重ねる選手たちの姿があります。私たちがその価値を享受できているのは、ひとえに彼らの挑戦があるからこそです。
そんなアスリートたちが、不必要な中傷に傷つけられていいはずがありません。私たち一人ひとりが、その価値と背景を理解し、応援の気持ちを正しく表現することで、スポーツの未来を、そして社会の共生的なあり方を支えることができるはずです。
JOCの調査結果は、単なるデータではありません。それは、選手の悲痛な声であり、社会全体が向き合うべき大切な問題提起です。スポーツを愛するすべての人にとって、今こそ「言葉の責任」を、自ら問い直すときなのかもしれません。