「境界知能」とは――見過ごされがちな認知のグラデーション
社会には、知的障害とされるには至らないものの、平均的な知的水準と比べて認知機能が低めの人たちが存在します。こうした人々の認知的な特性は「境界知能」と呼ばれます。これは疾患や障害ではなく、あくまで知能の程度の一つ。しかし、この境界知能に該当する人々は、日々の生活や社会との関わりの中で、さまざまな困難を抱えている場合があります。そしてその存在は、これまで十分に理解されてこなかったとも言えるのです。
この記事では、2024年3月に報道されたYahoo!ニュースの記事「障害ではない 『境界知能』とは」をもとに、「境界知能」とは何か、どのような特徴があり、日常生活や社会との関わりにどのような影響を及ぼすのか、また、社会としてどのように支えていくべきかについて紹介していきます。
境界知能とは――IQによる分類
知能指数(IQ)は、個人の認知機能を示す一つの尺度であり、さまざまな検査によって測定されます。一般的にIQは平均を100とし、85〜115の範囲に約6割の人が収まるとされています。
境界知能とは、このIQが「70〜84」の範囲にある人たちを指します。70未満であれば知的障害と診断される場合が多くなりますが、境界知能はそのすぐ上。つまり、知的障害には該当しないものの、日常生活や学力、仕事においては困難を感じやすい知的水準を持つ人々を示しています。
日本ではこの境界知能に該当する人は全体の13~14%にあたるともいわれており、身の回りにも少なからず存在している可能性があります。
「見えにくい困難」を抱える人々
境界知能の方々は、一見すると「普通に見える」ことが多く、社会生活に適応していく中で、大きなトラブルや問題が現れるまで深刻さが気づかれにくいという傾向があります。そのため、適切な支援や理解が遅れがちになってしまいがちです。
彼らが抱える困難には以下のようなものがあります。
1. 学習面でのつまずき
計算や読解、記憶の保持と理解などの面で平均的な学力を身につけるのが難しいケースがあります。特に複雑な概念の理解、論理的な推論、抽象的な思考などが苦手なことがあります。
2. 社会的状況の理解の困難
相手の気持ちを汲み取ったり、文脈を読んで行動したりすることに苦手意識を持つ人もいます。このため、人間関係においてすれ違いや誤解が生じやすく、孤立感を持つことがあるとされます。
3. 自己判断と意思決定
自己の状況を正しく把握したり、適切な判断を下す力が弱く、詐欺被害に遭いやすいといった問題が指摘されています。
4. 就労における課題
一般の職場において求められるスピードや臨機応変な対応、同時処理能力によって困難を感じることがあります。そのため、定職に就き続けることが難しい場合も少なくありません。
これらの困難は、知的障害のように明確な診断や支援制度に結びつきにくいため、支援を受けられずに悩みを抱えるまま放置されてしまうことがあります。
社会的支援の「はざま」にいる存在
境界知能の人々の課題のひとつに、「支援の谷間にいる」という問題があります。すなわち、知的障害とは認定されないため、福祉制度や支援サービスの対象外となるケースが多いのです。
自治体によっては、学習支援や就労支援などの取り組みが進められているところもありますが、日本全国で見るとまだ十分な支援が整備されているとは言い難いのが現状です。
また、本人だけでなく、家族や周囲の人々の理解も不可欠です。例えば、子どもが学校で学習についていけない場合、家庭でのサポートや学校との連携などが極めて重要になります。しかし、境界知能についての認識が一般的には広がっていないため、自分の子どもが境界知能に該当するという事実にピンと来ずに、適切な対応を取れないケースもあります。これにより、子どもが自尊心を傷つけられ、不登校や社会不適応といった問題につながる恐れもあります。
専門家の声と社会の役割
大阪府内の療育センターで発達検査や相談支援を行う本多見彩医師(児童精神科)は、境界知能の人々について「困っているけれど、支援の手が届きにくい存在」であると指摘します。つまり、医療や福祉、教育の各現場とも連携を取りながら、より広く、柔軟に支援体制を構築していくことが求められるのです。
また、たとえば福祉の現場では形式的な障害認定後でないと支援が受けられないという場合もあり、柔軟な対応がしづらい面があります。こうした制度の検討についても、今後の課題とされています。
私たち一人ひとりにできること
「境界知能」という言葉に触れたとき、私たちが大切にしたいのは、「それは特別な誰かの話ではないかもしれない」という視点です。職場、学校、地域社会――人が集まるあらゆる場所には、目には見えにくい困難を抱える人がいます。彼らのその生きづらさを「なぜ理解できないの?」と責めるのではなく、「どうして困っているのか一緒に考えよう」という姿勢が求められているのではないでしょうか。
そして、私たち自身もまた、生きていく中で助けを必要とする立場になることがあるかもしれません。そう考えれば、境界知能を持つ人々への理解や支援は、特定の人のためにあるものではなく、すべての人にとって「生きやすい社会」をつくるための一歩となるはずです。
最後に
「境界知能」と一言で言っても、その背景や状況、困難の度合いは人それぞれです。大切なのは、ラベルで人を判断するのではなく、それぞれの個性や特性を理解し、共に歩む社会を目指すことです。
境界知能の概念が社会に広まり、個人としても「気づき」の意識を持つことで、誰もが安心して暮らせる社会に、一歩ずつ近づいていくことができるのではないでしょうか。
理解が広がれば支援の輪も広がる――その第一歩が「知ること」から始まるのです。