タイトル: 市民の信頼を取り戻すには?―「勝手にボランティア登録」問題から考える公共の責任と透明性
2024年6月、石川県珠洲市の市議が、市内の能登半島地震の被災支援に関連するボランティア活動にて、市の議員7人分の名前を本人の同意なくボランティア団体に登録していたことが明らかになり、大きな波紋を呼びました。この一件は、災害支援という公共性の高い活動に携わる中で「信頼」や「責任感」がいかに重要であるかを改めて考えさせるものでした。
本記事では、この件に関する詳細を紹介するとともに、なぜこのようなことが問題とされるのか、また今後、同じような問題を防ぐために私たちは何を考え、どのように行動していくべきかについて掘り下げていきます。
■ 問題となった経緯
報道によると、石川県珠洲市の一部の市議らの名前が、災害ボランティア活動を取りまとめている団体「災害NGO結」と呼ばれる団体の名簿に登録されていたことが発覚。ところが、そのうちの複数人の市議は自身がその団体に関与した覚えがなく、「本人には無断で名前を使って登録されていた」と訴え出ました。これを主導したとされる市議は、当初「善意だった」「混乱を避けようとした」などと釈明しましたが、最終的には公の場で謝罪するに至りました。
ボランティア活動は、あくまで個人の意思に基づいて行われるものであり、誰かの名前を無断で登録することは、「善意」を超えて「権限の逸脱」と受け止められてしまいます。ましてや、その対象が公人である市議となれば、公共に対して説明責任が生じます。
■ なぜ問題なのか? ― 個人の意思とプライバシー
この件が問題とされた最大の理由は、市議という公的立場にある人物が、他の議員の意思を確認せずにその名を用いたという行為にあります。災害ボランティアは明確に「任意」の行為であり、特に被災地では、安全管理や活動方針、責任の所在など、参加者一人ひとりの自覚と同意が不可欠です。
名前を無断で使用された議員たちは、ボランティア活動に対して否定的なわけでは決してありません。しかし、「知らぬ間に団体に属する形になっていた」という事実は、個人のプライバシーと意思決定を尊重すべき社会の在り方から考えても、大きな問題と言えるでしょう。
■ 公人としての責任と、信頼回復への道
市議という職は、市民の代表として幅広い判断と責任を求められる立場です。今回のような行為は「代表者性」に傷をつけ、議会や行政に対する市民の信頼にも影響を及ぼします。今回の件が報じられた後、市民の中には「市議がそんなことをしていたのか」と驚きと失望を口にする人も少なくありませんでした。
しかしながら、当該市議が公の場できちんと非を認め謝罪した点は、信頼回復への第一歩とも言えます。人は誰しも間違いを犯すものですが、その後の対応こそが最も重要です。今回のように、公的立場にある人が自らの行為を省みて、透明性をもって説明責任を果たすことは、社会全体の信頼構築に繋がっていきます。
■ 災害支援におけるボランティアの意義と課題
能登半島の震災では、数多くのボランティアが全国から駆けつけ、被災地復興の手助けをしています。ボランティア活動は、人々の善意に支えられた不可欠な存在ですが、その一方で、組織運営や情報管理の面では時に課題も抱えます。
登録プロセスの曖昧さや、意思確認の不足といった点が、今回のような事象の温床となっているとも考えられます。今後、行政とボランティア団体との連携を一層強化し、信頼できる登録制度や活動体制の整備が求められています。名前を登録する際には、確実な本人確認と合意のプロセスを設けるなど、基本的なガバナンスを徹底することが必要です。
■ 私たちにできること―信頼と協力の社会づくりへ
今回の出来事は、私たち一人ひとりが「公共」にどう向き合うかを問いかけています。災害や緊急時には、個人の善意や近隣の助け合いが非常に重要になります。しかし同時に、誰かの想いの上に成り立つその支援が、かえって他者を巻き込む形になってはいけません。
ボランティアに限らず、自治体や地域活動、学校や職場でも、「誰かを思ってやったこと」がすれ違いを生むこともあります。だからこそ「確認すること」「話し合うこと」「尊重すること」が何より大切です。
また、公人に対しては、私たち市民がその行動をしっかりと注視し、必要なときには意見を述べ、時には支え、時には指摘していくという姿勢が求められます。民主主義社会においては、まさにそのような市民参加こそが健全な政治と信頼関係を育みます。
■ 終わりに
「勝手にボランティア登録された」というニュースは一見、些細な手違いのように思えるかもしれません。しかし、それが公人の名前であったこと、合意なく使われたこと、本人にとっては寝耳に水だったことなどを鑑みれば、決して軽視してはいけない問題であることがわかります。
今回の件を教訓として、今後は市民と行政が互いに信頼し合い、「納得と透明性」をもった社会を築いていけるよう、継続的な対話と制度改善が求められます。誰もが安心して声を上げられ、自分の意思が尊重される社会。それは、震災という困難を乗り越える私たちが目指すべき、まさに“復興”そのものなのではないでしょうか。