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「最後の襷をつなぐ—たった一人の駅伝部員が走り抜けた日々」

青森山田高校・駅伝部―希望と責任を背負い続ける「最後のひとり」

青森県青森市にある青森山田高校。その全国有数のスポーツ強豪校である同校で、近年全国に名を轟かせていたのが駅伝部です。しかし、2023年度末、部員の多くが突如として他校に転校するという異例の事態が起きました。その結果、駅伝部に残ったのは、わずかひとり――当時の3年生、藤森帆高さんだけでした。

今回は、藤森さんがなぜ青森山田高校に残るという選択をしたのか、そして彼が現在どのように葛藤と向き合い、未来への歩みを進めているのかを紹介します。

集団転校という異例の出来事

2023年3月、青森山田高校の駅伝部で、2年生以下の部員が集団で系列校の「青森山田高等学校附属高校」や、他の高校へ転校するという出来事が報道されました。報道によれば、この移籍には指導方針や部員間の信頼関係などに関する問題が背景にあったとされています。

通常の高校生活において、生徒たちが進級を前に一斉に転校するというのは、極めて珍しいことです。環境の変化は選手たちにとっても大きな負担となることは間違いなく、彼らが何を思い、どのような未来を見据えて決断したのか、多くの関係者が注目しました。

集団移籍のなかで、ただ1人「残った」理由

そんな中、ひとりだけ青森山田高校に残ることを選んだ人物がいました。それが、当時3年生になったばかりの藤森帆高さんです。

藤森さんは、青森県外の出身で、硬式野球の強豪と知られる青森山田高校に中学の頃から憧れを抱いていたといいます。当初は野球部も選択肢のひとつだったそうですが、やがて長距離走に魅了され、駅伝部への入部を決意。真面目で努力家として知られていた藤森さんは、仲間と共に全国大会での優勝を目指して日々汗を流していました。

しかし、突如降って湧いた集団転校の報に藤森さんも戸惑いを隠せませんでした。当然、自らも転校という選択肢を考えざるを得ませんでした。しかし、彼が最終的に選んだのは「残る」という道でした。

「3年間やりきることに意味があると思ったからです」

彼が語ったこの言葉には、目先の結果よりも自身の信念を重視する強い想いが込められていました。仲間が去る中で、孤独や不安、時に絶望すら感じた日々もあったそうです。しかし、そんな中でも藤森さんは走ることをやめませんでした。ひとりになった駅伝部のエースとして、自らに課された責任に全力で向き合い続けたのです。

「支えてくれた人たち」が原動力に

チームメイトを失い、指導環境も変わる中で、藤森さんが走る原動力になったのは、家族や恩師、そしてこれまで自分を応援してくれた人々の存在だったといいます。

地元から遠く離れた寮生活の中で、孤独な日々と向き合ってきた藤森さん。しかし、進学や競技の道を諦めず、地道なトレーニングを重ねる姿勢は、自らが目指してきた「選手としての誇り」を感じさせます。

本人が語るように「誰かに何かを届けたい、そんな気持ちが走り続ける理由に変わっていった」のです。

思い出される「恩師の言葉」

藤森さんの心に残っているのが、ある恩師からのアドバイスでした。

「環境ではなく、自分がどう努力するか。それが未来を決める。」

所属するチームがなくなっても、独り走ることで心を鍛えることができる。実際、藤森さんはその言葉どおり、己との戦いに耐え、自主トレーニングに励み、結果として県記録更新にも迫る走りを見せるなど実力を維持し続けました。競技力だけでなく、精神面の成長も著しかったと言われています。

「次の世代に何かを残したい」

3年生になってからの藤森さんは、後輩が不在の中でも「駅伝部の伝統を絶やしたくない」という一心で、自らの行動で伝統を守り続けました。

部活動の指導体制を再構築し、トレーニング環境の整備にも尽力。1人きりの「駅伝部員」としての活動は、通常とは全く異なる日々だったことでしょう。しかし、藤森さんはそうした困難を困難とせず、むしろ「誰かの道標になるような存在になれたらうれしい」と語っています。

走ることに対する情熱だけでなく、次の世代のために努力し続ける姿勢は、スポーツだけでなく多くの学生や若者にとって意義深いものとなっています。

未来への一歩

現在、藤森さんは卒業後の進路として大学進学を目指しています。長距離ランナーとして次のステージへ挑戦すべく、日々身体と精神の鍛錬に励んでいます。

約1年間、数々の試練を一人で乗り越えてきた経験は、これからの人生にも大きな財産となるでしょう。やりがいを見出し、誠実に課題と向き合ってきたその姿勢は、多くの人に“何かをやり切ることの意味”を伝えてくれます。

その姿勢は、単なるスポーツ選手としてではなく、「一人の青年」として多くの共感と感動を呼ぶものです。駅伝部のユニフォームに袖を通して過ごした3年間は、藤森さんだけでなく、私たちの心にも確かに届けられました。

おわりに

青森山田高校・駅伝部という舞台で、ただひとり残り続けた藤森帆高さん。その選択と努力は、青春のひとつのかたちであるとも言えるでしょう。

部活動であれ、勉強であれ、何かに打ち込む中で困難に直面することは誰しもに訪れます。その時に、「自分はどう向き合うか」が問われるのです。

藤森さんの姿は、そんな時に私たちが心に留めておきたい“向き合い方”を教えてくれます。

走り続けるその背中は、たとえひとりでもまっすぐで力強い。「最後のひとり」が私たちに届けた勇気と誠実さが、これからを生きる私たちへのエールとなることを願ってやみません。