横浜中華街の老舗「聘珍樓」が破産──140年の歴史に幕、見えてきた外食産業の構造変化
2024年4月、横浜中華街を代表する老舗レストラン「聘珍樓(へいちんろう)」が、東京地裁に破産を申請したという衝撃のニュースが日本中を駆け巡りました。同店を運営する聘珍樓株式会社は、明治17年(1884年)創業。約140年に渡り、日本の中華料理界を牽引してきた名門の幕引きは、多くの人々にとって大きな驚きと共に複雑な思いを呼び起こしました。
本記事では、聘珍樓の歴史やその破産の背景、そして今後の外食産業について深く掘り下げながら、私たちがこの出来事から何を学び、どのように未来を見据えていくべきかを考察していきます。
老舗中の老舗、聘珍樓とは何者だったのか
「聘珍樓」といえば、多くの方が少なくともその名前を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。「日本最古の中国料理店」として名高く、横浜中華街に本店を構え、名古屋・大阪・東京にも展開していました。広東料理を中心に高品質な素材と職人技術にこだわり、一般的な中華料理店とは一線を画す“高級中華”として知られていました。
聘珍樓の名は、まさに「伝統」と「格式」を象徴するブランドでした。家族のお祝いの席や企業の接待に利用された思い出を持つ方も少なくないでしょう。まさに“格式ある味の殿堂”として長年に渡り、多くの人々に愛されてきたのです。
しかし、その格式の高さや格式に裏打ちされた運営スタイルが、変化する時代の波に取り残される一因になっていたのかもしれません。
破産申請の背景にある複合的な要因
今回の破産申請に至った背景には、さまざまな問題が複雑に絡み合っていました。報道によると、負債総額は約14億円。新型コロナウイルス感染症の拡大による長期的な来店客数の減少が大きな打撃を与え、回復の兆しを見せる前に資金繰りが難しくなったとされています。
コロナ禍では多くの飲食店が経営に苦しんできましたが、「聘珍樓」のような高級路線の飲食店は、その影響をより深刻に受けやすい業態です。旅行者や企業の接待需要が激減し、さらに大規模な宴会が制限されたことにより、主力のビジネスモデルが成立しにくくなったのです。
また、コロナ以前からも、進行する少子高齢化や中食(なかしょく:家庭外調理の食品)の台頭、外食に対する価値観の変化など、外食産業をとりまく構造的な変化が徐々に影を落としていました。高価格帯でサービスを提供するには、一定の客層の支持が必要ですが、家計の節約志向もあり、高級中華に足を運ぶこと自体が“特別”から“回避すべき贅沢”と見られる傾向もあったと考えられます。
クラシックな運営モデルと現代性のギャップ
聘珍樓は、中国料理本来の製法を忠実に守り、手間暇を惜しまず食材も厳選して提供するという、いわば“職人魂”を体現するようなレストランでした。それは真面目に仕事に取り組んできた証でもありますが、現代のフードビジネス業界における「スピード」「コスト」「デジタル化」などの要請にどこまで適応できていたのかという疑問も残ります。
最近ではモバイルオーダーやキャッシュレス決済、さらにはサブスクリプション形式の飲食メニューの導入など、飲食業界のデジタル化のスピードは目覚ましいものがあります。また、フードデリバリーサービスを導入する店舗も増えており、コロナ禍の影響でこうした「非接触型」の業態展開はますます求められるようになりました。
企業努力によって変化に対応している企業がある一方で、聘珍樓のように「伝統」を守り続けることが逆に変化への柔軟性を欠く要因となってしまった面も否定できません。もちろん、伝統を守ること自体に価値がないわけではなく、そのバランスをどのように取るかが企業にとっての課題となってきたのです。
外食産業の未来に向けて我々が考えるべきこと
聘珍樓の破産は、街の風景を形作ってきた老舗の一つが消えていくという喪失感を私たちに与えると同時に、現代の外食産業が直面している課題を浮き彫りにしました。
一つには、消費者の価値観の多様化への対応があります。高級志向だけでは生き残りが難しい現代においては、プレミアムな価値だけでなく、利便性、価格、エンタメ性、SNS映えといった新たな評価軸にも目を向ける必要があるでしょう。
また、採用難と人件費の高騰、エネルギー価格の高止まりなど、直接的なコスト構造の変化にも対応しなければなりません。高品質なサービスを支えるための人的リソースを確保することは年々難しくなり、そうした背景も老舗の運営を難しくしています。
さらに、飲食事業において必須となっているのが、持続可能性=「サステナビリティ」です。地産地消、食品廃棄物の抑制、環境負荷を減らす店舗運営など、時代が求める新たなスタンダードをどれだけ意識できているかが問われるようになってきています。
伝統と革新の融合が未来を拓く
聘珍樓が閉じたことは、大きな痛手である一方で、その姿勢から学べることも多々あります。彼らが長年に渡って築き上げてきた信頼や料理技術はいずれも一朝一夕には得られないものでした。今後、他の中華料理店や外食企業がそれらを受け継ぐことで、新たな形で命を繋いでいくことも充分に可能です。
伝統を守ることと、時代に合わせて変わっていくこと。この両輪をどう動かしていくかが、これからの飲食業において重要な鍵となることは間違いありません。長年にわたって愛されてきた聘珍樓に敬意を表するとともに、今後の外食産業の進化と可能性にも目を向けていきたいものです。
聘珍樓が生み出した味、空間、体験の価値は、消えてしまったわけではありません。むしろ、“歴史”として私たちの心に残り続けています。
今一度、私たち一人ひとりが「外食」という文化の価値、そしてそれを支えてきた人々への理解と感謝の気持ちを持ち、これからの新しい時代に向けて応援し続けることが、聘珍樓への最良の追悼となるかもしれません。