3月12日、2024年春のセンバツ高校野球選抜大会への出場をかけた「21世紀枠」で石川県立金沢学院大学附属高等学校(以下、金沢学院大付高)が選出されたことが大きな話題を呼んでいる。北信越地区からの21世紀枠選出は非常に希少であり、同校の野球部がこれまで積み重ねてきた努力の結晶がようやくスポットライトを浴びた形だ。今回のセンバツ出場には、同校監督の熱意、地域とのつながり、そして選手たちのひたむきな姿勢が大きく関与している。
注目を集めているのは、同校を率いてセンバツ出場へと導いた監督・池田成章(いけだ しげあき)氏の存在だ。池田監督は、滋賀県出身で、京都府にある名門・塔南高校(のちの東山高校)で名投手として活躍した人物である。高校時代はエースピッチャーとして活躍し、卒業後は京都産業大学へ進学。大学時代も硬式野球部で投手としてプレーを続けた。選手としての実績に加え、指導者としての手腕が光るのは、教員免許を取得した後、数々の高校で教壇に立ち、長く教育現場で生徒と向き合ってきた経験から来るものだ。
池田監督が金沢学院大付高に赴任したのは2013年。当時は部員数が10名にも満たない弱小チームであり、グラウンドの整備もままならない状況だった。しかし、池田監督は「勝つことだけが高校野球のすべてではない」と明言し、まずは人間形成をベースにチームの立て直しを始めた。「礼儀」「自主性」「学びの姿勢」。この三つをチームの柱とし、野球だけでなく学業や地域との連携を重視する指導を続けた。
その姿勢は地域社会とも強く結びつき、地元住民や保護者からの信頼を得て、少しずつ部員が増加。最初は1学年でわずか数名だった部員が、数年後には40名近くまで増加した。池田監督は「野球を通じて成長したこの子たちが、社会に出たときにも信頼される人間になってほしい」と語り、勝利主義に偏らず、あくまで教育とスポーツの融合を模索してきた。
スポーツ推薦などが盛んな私立校とは異なり、金沢学院大付高は強豪校とは言い難い環境にあったが、それでも着実に成績を残す。2023年秋の石川県大会では見事に勝ち進み、地区大会出場を果たし、しかも複数の試合で互角以上の戦いを見せた。これが評価され、“21世紀枠”候補として名前が挙がるようになった。
“21世紀枠”とは、2001年に創設された選抜制度で、全国の高等学校の中から「地域に根差した活動」「学業との両立」「困難な状況下での努力」などを評価基準とし、選出される特別な枠である。選考対象になった学校の中から、評価された学校が各地区に推薦され、最終的に数校が出場への切符を手にする。この制度は、いわゆる私学の野球強豪校にはない「複合的な価値」を持つ学校を公平に評価することを目的としている。
金沢学院大付高のセンバツ選出には、全国の高校野球ファンも感銘を受けている。特に注目されたのは、部員の一人・田中陽向(たなか ひなた)くんのエピソードだ。田中くんは家庭の事情で一時期アルバイトなどを行いながら学費を支え、野球も決して楽な状況ではなかった。それでも努力を続け、スタメンとしてレギュラーの座を勝ち取った。そんな彼のクラッチヒットや、守備でのファインプレーは、チームの士気を大いに高め、今回の県大会での快進撃に貢献した。
また、部員全員が学校の清掃活動やボランティア活動にも積極的に参加しており、地元の小学校への野球指導なども定期的に行っている。こうした一貫した地域貢献・教育活動も、今回の選出理由の一つだ。
彼らの“普通の高校生”としての日常と、“選抜出場校”としての栄誉の間にあるギャップが、見る者の心を打つ。グラウンドの設備は決して潤沢ではなく、雨の日には生徒たち自ら排水作業を行い、整備に汗する。遠征もできる限り節約し、貸し切りバスではなく公共交通機関を利用することもある。そうした“等身大の努力”が、センバツという大舞台への扉を開いたのだ。
池田監督は今回のセンバツ出場に際して、「勝ち負け以上に、一試合一試合を必死に、ひたむきに、チーム全員でやり切る姿を見せたい」と語る。その言葉には、かけがえのない日々を部員と積み重ねてきた経験と、野球という枠を超えた“人を育てる”という覚悟がにじんでいる。
また、今後について池田監督は「北信越にも、こうした可能性を持つ学校があることを知ってもらえれば」と語っており、自校の出場が地域全体の活性化や希望の象徴となることを願っている。
2024年春、甲子園での金沢学院大付高の姿に、観客は何を感じ、何を受け取るだろうか。特別強豪校ではない地方のひとつの公立高校が、決して恵まれているとは言えない環境の中で、自らの存在価値を証明する姿は、スポーツの持つ本当の力を、私たちに改めて教えてくれるだろう。
そこには確かに、努力と絆と、未来への希望があった。