2024年6月5日、突然の訃報が日本中を駆け巡った。ジャーナリストでTBSテレビ報道番組「報道特集」のメインキャスターを長年務めた金平茂紀(かねひら・しげのり)氏が、6月4日に自宅で倒れ、亡くなったことが報じられた。享年70——。そのニュースは、報道に携わる者たちだけではなく、彼の言葉を通じて社会を見つめてきた多くの市民にも大きな衝撃を与えた。
金平茂紀——その名を耳にすれば、多くの人がすぐに「報道特集」のあの力強い語り口を思い出すだろう。優しさの中に確固たる信念を秘めたその声音と、権力に迎合せず真実を追い続ける報道姿勢は、現代のメディアにおいて一貫した倫理と気骨を象徴する存在だった。
彼のメディア人生は、1977年にTBS(東京放送)に入社した時から始まる。大学は東京大学文学部卒業、当時から文学や哲学に造詣が深く、それは後の報道スタイルにも色濃く反映されている。政治経済の知識だけでなく、人間社会、文化、そして人の心に寄り添う視点を持ち、物事の“背景”に迫る報道を信条としていた。
入社後は主に報道局に所属し、「ニュース23」などの報道番組に出演。その後、2005年からは「報道特集」のキャスターという重責を担う。彼のキャスターとしての最大の特色は、独自の取材に基づいた掘り下げたリポートと、何より“現場主義”だった。
国内外を問わず、貧困問題、難民問題、人権侵害、原子力発電とその影響、震災被災地——焦点を当てるテーマは常に、時流とは一線を画す地点にあった。2011年の東日本大震災後には、被災地に何度も足を運び、復興の道のりやそこに取り残された人々の声に耳を傾け続けた。「復興」の二文字だけでは済まされない、「現実」を淡々と、しかし確かな温もりとともに伝え続けた。
アナウンサーやキャスターが、バラエティや他のジャンルと横断する傾向が強まるテレビ界において、金平氏は一貫して報道の現場にとどまり、マイクロホンを向ける相手と対話を続けた。彼の言葉の選び方には、相手への敬意が滲み出ていた。ときには厳しい追及もあったが、その根底には「真実を知りたい」「人々の側に立ちたい」という決してぶれない軸が存在した。
2016年にはTBSを定年退職。しかしその後も番組には契約キャスターとして出演を続け、執筆活動や講演も精力的に行ってきた。2022年には、自身の半生と報道姿勢を振り返る自伝的著書『記者 反権力の思想と行動』を上梓。発売直後からベストセラーとなり、後進のジャーナリストたちにも大きな影響を与えた。
金平氏が大切にしていた言葉の一つに「報じるとは、声なき声を拾い上げること」がある。政治の場で語られない現実、市民が見落としがちな社会のひずみを、根気よく、丁寧に、時に自ら被写体としてレンズの前に立ってまで伝えた。それは報道の根源に立ち返る行為であり、テクノロジーとAIが情報を処理するこの時代にこそ、かけがえのない“人の手”の報道だった。
彼の報道はしばしば政府や権力者に対する厳しい問いかけを含んでおり、時にはそのスタンスが批判の的になることもあった。しかし金平氏はいつも「報道の自由とは、耳に心地よいことだけを伝えるものではない」と語った。「人が伝えるべきこと、それに対する責任、それを受け止める視聴者の成熟」——この三者が共に成長しなければ、健全な民主主義は築けない。彼はその信念のもと、時に孤独を抱えながらも言葉を投げかけつづけた。
また、金平氏は国際的な視座を持って報道を行っていたことでも知られる。米国ワシントン支局やモスクワ支局での経験があり、世界の現場で肌に感じた空気は、国内番組においても生かされた。ロシアによるウクライナ侵攻など国際情勢の取材では、現地に足を運んで直接人々の声に耳を傾け、スタジオからのニュースだけでは伝えきれないリアリティを届けた。
2023年には、報道特集のキャスターを事実上降板し、その後はメディア批評や執筆活動を中心に活動していた。最後まで“言葉”を媒介に社会に語り続けたジャーナリストだった。
金平茂紀氏の他界は、日本の報道界にとって、一つの時代の終焉を意味するのかもしれない。しかし、彼が貫いた「伝えるべきものを伝える」という姿勢は、記録や映像、彼の言葉として、今も我々の中に脈々と息づいている。
情報が氾濫し、一方でフェイクニュースや陰謀論が飛び交う現代において、何を信じるべきかという問いはますます重くなっている。そんな中で私たちが金平氏から学べることはあまりに多い。声なき声に耳を傾けること、見えない存在に光を当てること、そして、自らの信じる真実を誰に遠慮することなく語ること——。
金平茂紀というひとりの記者の生き方は、ジャーナリズムという言葉が褪せるどころか、今なお必要とされていることを示し続けていた。彼がこの社会に残した影響はあまりに大きく、そして深い。彼の志は、これからの記者たちが引き継ぐべき“魂”である。
金平茂紀さん、あなたの言葉に救われた人は少なくありません。どうか安らかにお休みください。そして、私たち市民ひとりひとりが、あなたの思いを受け止め、その背中を追い続けることで、あなたの伝えてきた報道の精神を次世代へとつなげていきます。