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篠原有司男、91歳でグッゲンハイム美術館個展開催へ――反芸術を貫いた日本人アーティストの異端と栄光

日本初の快挙――篠原有司男、ついにニューヨークのグッゲンハイム美術館で個展開催

2024年6月、日本のアート界において一つの歴史的転換点となるニュースが世界を駆け巡った。ニューヨークにある世界屈指の現代美術館、ソロモン・R・グッゲンハイム美術館で、日本人芸術家・篠原有司男(しのはら・うしお)氏の回顧展「USHIO SHINOHARA: ACTION, POP, IMPACT(仮題)」が開催されることが発表されたのだ。米国の現代アートの象徴ともいえるグッゲンハイムで、日本人アーティストが個展を開くのは極めて異例。しかも、対象となったのは現在91歳を迎えた異端児・篠原有司男氏という点でも、極めて感慨深いものがある。

破天荒なエネルギーと「ボクシング・ペインティング」で一斉を風靡

篠原有司男といえば、1960年前後から前衛芸術の最前線を駆け抜け、日本国内では「反芸術」の旗手として頭角を現した存在である。彼が初めて芸術界に大きな衝撃を与えたのは1960年、当時の保守的な美術界の布陣に逆らうように登場した「ネオ・ダダ・オルガナイザーズ」というグループの活動だった。街頭やギャラリーで破壊的なアクションや即興的なパフォーマンスを繰り広げた彼らにとって、「美術」は既存の枠には収まりきらないものだった。

中でも篠原本人が開発した「ボクシング・ペインティング」は、絵筆ではなくボクシング・グローブに絵の具をつけ、キャンバスにパンチを繰り出して描くという極めて身体的、また攻撃的な表現手法だった。この斬新な試みによって、彼は当時の「ジャパン・アヴァンギャルド」の象徴となり、その名は国内外で広く知られるようになった。

米国移住、そして「無名時代」

しかし、1969年、篠原氏はその名が世界に知られる中で自ら日本を離れ、アメリカ・ニューヨークへと移住する。当時32歳の若き画家は、あえて未踏の地に身を投じることで新たなインスピレーションを得ようとしたのだ。だが、ニューヨークでは即座に成功が訪れることはなかった。既にアメリカにはポップアートの巨星、アンディ・ウォーホルやジャスパー・ジョーンズらが君臨しており、無名のアジア人アーティストに対する風当たりは決して優しいものではなかった。

そんななか、篠原は路上でアートを売りながら生活費を稼ぎ、狭いアトリエで「モーターサイクル・スカルプチャー」などの大型立体作品を制作し続けた。その生き様は、まさに“捨て身の芸術家”。一貫して自らのスタイルを守り抜いたという点において、彼の人生ほど「芸術に殉じた」と形容できるものは少ない。

「キューティ&ブルータス」――夫婦で描く芸術人生

篠原有司男の人生には、もう一つの重要な要素がある。それは芸術家でありパートナーでもある妻・篠原乃り子との二人三脚だ。乃り子氏もまたニューヨークで芸術活動を続けるアーティストであり、夫・有司男と共に長年創作の場を広げてきた。

二人の奇妙でユニークな生き様は、2013年のドキュメンタリー映画『キューティー&ボクサー』(監督:ザッカリー・ハインザーリング)によって世界的な注目を浴びた。映画は、貧しいながらも互いに支え合い、衝突を繰り返しながらも創作に命を注ぐ老夫婦の姿を描き、多くの観客の共感を呼んだ。結果として『キューティー&ボクサー』はアメリカのアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされるなど高く評価され、篠原夫妻は再び国際的な脚光を浴びた。

91歳にして世界の頂点へ――グッゲンハイムで展覧会開催の意義

グッゲンハイム美術館での個展開催は、91歳となった篠原有司男にとってまさに「人生の総決算」とも言える偉業である。今回の展示では、彼の代名詞ともなった「ボクシング・ペインティング」から、初期のネオ・ダダ時代の作品、さらには米国移住後に制作された「モーターサイクル・スカルプチャー」など幅広い年代の作品が網羅される予定。展覧会には彼の芸術観を象徴する「破壊と再生」「身体性」「即興性」がふんだんに現れ、多くの観客を魅了するだろう。

また、本展のキュレーターであるナンシー・スペクター氏(元グッゲンハイム美術館チーフ・キュレーター)は、「篠原氏のエネルギッシュな表現と稀有な人生は、現代アートの本質を問い直す存在。彼の作品は今こそ再評価されるべきだ」と語っており、単なる回顧展という枠を超え、アート史の見直しの中で日本の前衛芸術がいかに世界に影響を与えたかを示す重要な機会となるだろう。

日本ではまだ過小評価?再評価の兆し

興味深いのは、その活動の大半を海外で展開してきた篠原有司男の存在が、日本国内では未だ十分に知られていないという点である。若い世代にはNetflixや映画を通じてようやくその名が浸透し始めたが、美術館での大規模な回顧展は近年まで限られていた。

だが、今回のグッゲンハイムでの個展を機に、篠原の創作活動が改めて日本国内の美術界でも注目され始めている。日本国内の主要美術館でも今後回顧展の企画が進んでいるとの報道もあり、彼の視点から見た「アンチ・ジャポニズム」「反近代性」といったテーマも再検討されることが期待される。

表現の自由と情熱を体現した芸術家

篠原有司男の生涯を振り返って強く印象に残るのは、彼が体現してきた「表現の自由」という精神だ。時には時代の潮流に逆らい、時には無名の苦悩を味わいながらも、決して妥協することなく自身のスタイルを突き詰めた姿は、多くの若いアーティストにとって大きな道標となる。

篠原氏は語る。「芸術家は計画なんて立てない。全部は即興。心の叫びに体を突き動かされて何かを生むんだ。」

その言葉の通り、彼の芸術は常に“いま”を生き、身体と魂で表現してきたもの。その結果が、半世紀をかけて世界の頂点・グッゲンハイム美術館への到達となったのだ。

この夏、日本・そして世界のアートファンは、ひとりの偉大な芸術家の生き様と表現に改めて出会うことになるだろう。篠原有司男――その名は、もはや伝説である。